■姫と下僕の物語05
<ご懐妊篇>


■ 三人称 時代物パラレル話 ※貴人はクー・ヒズリで妄想願います
<ご懐妊篇>



京子が自分の体の様子がおかしい…と気付いたのは、年が明けて、
諸々の宮中行事もひと段落した、しばらくの後だった。
食欲が落ち、臥せることが多くなった。
村上の領内にいる時は、元気に跳ね回り、血色の良かった頬あたりが
今は白く抜けるようで、少女はひどく果敢無げな娘に変じてしまっていた。

実らぬ恋と、苦悩と、休まらない思い。全てが少女を少しづつ削っていく。
良人は、京子のようすにひどく心を痛め、宮中より薬師を呼び寄せた。


「 おめでとう御座います、ご懐妊で御座います」


薬師は、京子を看たてて、その傍によりそう夫に恭しく頭を下げた。

思わず、京子と、その夫は、顔を見合わせた。
共に暮らしはじめてより、幾月。 おかしくはない。―――――しかし。

恋する娘として、胎の子の母としての直感で、
京子は “そうではない” と知った。

妻を愛おしいと思う良人の直感で、
男もやはり “そうではない” と知った。


胎に宿る児の父は―――――。


京子は怯えた。
認めてしまうわけにはいかないゆえに、許しを請うこともできず、ただ、黙って。


胸の辺りが、差し込むように痛む。

痛みは、日増しに強くなるようだ。

少女はそれを誰にも言わず、今日もまた、ひとりで耐えた。




***



蓮が、貴人の邸で下働きめいたことをはじめて、随分経つ。
村上衆として付き従ってきたものは、京子の行儀見習いの終了とともに、
ほとんどが村に戻された。

京ぶりのしきたりに早く慣れさせたい…というのが、
貴人側から提示された理由だった。

そして、守護人でもなく、手下としてでもなく、邸の下男として、蓮だけが残った。

諸肌を脱いで、薪を割り、それを一塊に台所の守場に運ぶ。
愛想よく置き場所を指示する下女にぶっきらぼうに従い、
仕事を終えて外に出た。

首にかけた布で汗をぬぐう。  空が高い。

( もっておいきよ )

ふと、手に持たされた酒瓶に目を落とした。
守場に出入りするようになって、女たちに、さまざま持たされることが増えた。
 
そういえば、京子も子どもの頃は自分に色々とくれてやりたがっていたな、と
思い出すと、ふっと笑みが浮かび………一目会うこともできない今の絶望的な状況に、沈んだ。

娘は、元気でいるのだろうか。
あの貴人に…大切にされて……
俺がここにいることを知っているのか、知らないのか。


(……京子―――――)


今、何を考えている―――――?


(会いたい―――――)


薪場に戻り、木切れの上に腰を下ろして休んでいると、
対の屋の方からふと視線を感じた。
その色彩に一瞬、京子を連想して振り返ると、
廂に降りた御簾の間から娘が自分を見つめているのに気がついた。
そのようすからは下働きのものとはあきらかに違う風体が窺い知れたが、
貴族の姫とも見えない。
女房であろうとあたりをつけた。
蓮はそうした視線には既に慣れていた。
京子でない、と知れた瞬間、大儀そうに立ち上がり、踵をかえす。


「 外をそのようにうかがうとは、いけませんね、はしたないですよ―――――」


ふと、透渡殿から、涼しい声が聞こえた。
自分にではなく、御簾のむこうの女房にかけられた声。それは。

……京子の。

ふりむくと、貴人が透渡殿を渡りきり、簾子縁に降りてくるのが見えた。
女房は、恥じ入るように、廂のなかで下がっていった。

蓮と貴人は、しばし、距離をおいた状態で、見詰め合った。

しなやかな手が、蓮を差し招いた。
蓮は、つと一歩を出て、その場に膝をついた。


白い高貴な男と、日に焼けた粗野な美貌の対峙。


「 どうもこの屋敷には、おまえの美しさに惑わされる、はしたない娘が多いようです 」


苦笑をはらんだ軽口。ただそこに、何か一抹の含みが込められ。


「 あれは、わたしの乳兄弟の娘で、 ――――― といいます 」


あれ、と言われても、女房の顔など見てもいない。
名前は意識を素通りしていった。
押し黙ったまま只管地面を眺めていると、貴人はとんでもない事を言い出した。


「 おまえ、あれを娶りませんか―――――」


顔をしかめて真意を探るように、面をあげると、
貴人は胃の腑が冷たくなるような厳しい顔で蓮を見つめていた。


「 あれの父は、私が所有する西国の荘園の役人、……なかなか裕福な家です。
跡継ぎの男児もおらぬゆえ、娶って西に下れば、おまえが家を継ぐことになるでしょう 」


貴人は、手の中で扇を玩んだ。


「 無位無官ではいかにも…というのであれば、
私が、少し口をきいてあげてもいい。もとより水軍の姫に仕えていたわけですから、
そんな下男姿でいることはないでしょう」


「……別に、村にいた時していた事とかわらない」


真意を探れないまま、蓮は興味なさそうに言い捨てた。
どんな冗談だ、と、むしろ不快になり………。
不意にこの男は、全てを知っているのかもしれない、と思い至った。

それに、と蓮は続ける。

「 頭領から聞いていないか、俺は、女を娶れるからだではない」

貴人は、恐れ気もなく、無礼に言葉を返す蓮をわずかに面白がるように、微笑んだ。

「………きいていますよ。不幸な事故だとか。」

蓮は、肩を竦めた。
それで、乳兄弟の娘を自分に縁付けようとする神経がわからない。


「別に、構いません」


二人の間に沈黙が落ちた。
さらさらと、風が通る音―――――。

今日はやはり、空が高い。


「―――――京子が懐妊しました………」


だから、男の囁きを、蓮は一瞬聞き逃しそうになった。


京子が懐妊した―――――。


「…………産ませてあげようと、思うのですよ……」


男は、優雅に高欄に手をついた。


「………おそらくは、おまえの子…ということになるでしょうね………
…私にはどうやら、子はできないようなので 」


蓮は、思わず息をのんだ。
こども………京子と、自分の。
胸がいたむほど幸せだったひと時の証が……
京子のなかに。
京子の中に息づいた命が真に自分のこどもなら、
それが彼にとっては最初で最後の。


「…………さあ、しかし事態はそう甘いものではありませんよ……」


男は扇を弄びながら、綺麗な声で笑う。


「…子を産ませてあげる条件が、先程の相談です」


男の乳兄弟の娘を娶り、西国へ下り、京には戻らないこと。


「……だから俺には、女の夫として勤めを果たす機能がないと言った」


「構わないと言いました」


男は酷薄に笑った。

「…もとより、お前を京から追い払いたいだけのこと。おまえが別の女を娶れば、
京子も諦めがつくかとの浅知恵です。娘にも、乳兄弟にもよく含めましょう。
それに」

「娘がおまえに懸想しているというのは本当でしてね……」

「………本当に、若い娘というのはやくたいもない。おまえのような男は、
娘らにとっては媚薬のようなものなのでしょう。
まあ、共寝できない事を夫として哀れに思うなら、長い夜を慰めてやるくらいの
親切があっても良いのではないかとは思いますが」


「……真っ平だ」


蓮は、鼻先で笑った。
しばし、逡巡ののち、心を決めたように、貴人を振り仰ぐ。


「……… そういうことなら、娶りもしよう、西国にも下ろう、でも」


その女には指一本触れはしない。


「……………結構」


貴人は、無表情に立ち上がった。さらりと静かなきぬ擦れの音がして、
直衣にたき染めた香が薫った。


「……お殿様、あなたは」


毒を込めて蓮がいう。


「………思ったより随分、はっきりものを言うんだな」


男は蓮を斜に眺め、片眉をついとあげた。


「………毎夜ごと、可愛がるつまの口から他の男の名を聞いては、
おかしくもなろうというものです」


( 私の肌にもすっかりなじんで、身も世もなく啜り泣くくせにね。)


お互いへの殺意。ひそやかな火花をちらし、男たちは互いに背を向けあった。


***


翌日、蓮は、禁を犯すことを心に決めた。
貴人が宮中への参内で邸をあけることを聞き知ったからだ。

京子のいま。
懐妊したということ…。何もかもに現実感がない。
自分はほどなく、ここを離れて遠くへ旅立つ。
さもなければ、京子は子を産むことを許されないからだ。
そうなった時に、京子が受ける仕打ちについて考えると、身が凍った。
貴人がああ言い出した以上、自分に選択権はないのだ。

蓮は、外側から、京子の住む対の屋の裏手に出ると、縁の下を通って壺庭に出た。
ひとつひとつ気配を探りながら、目当ての女の場所を探る。
昼間なので、女房たちに見咎められぬよう、細心の注意を払って。

思えば、賊の手練れとして仕込まれている蓮には、
忍び入ることも、攫う事も、手のものではあった。

衣擦れの音もしとやかに女房が通り抜けていくのを確認し、
高欄を乗り越え簀子縁に上がる。
御簾を潜って、廂のうちに忍び入り……。

几帳の向こうに、脇息に凭れた少女の姿がほのみえた。


「………誰―――――?」


憂わしげに小首をかしげて、こちらを見る。

蓮は、几帳のあいだから、食い入るように、その姿を見た。
降り積もった飢えをこらえて―――――。
蓮の手が、几帳にかかる。そっとそれをずらすと、
京子のひとみが、まさかという驚愕にみひらかれた。


「 あ……―――――」


京子は、臆した。

誰よりも何よりも………。

夢にまで見るお互いの姿。

京子は、胸を押さえて、まろびながら立ち上がった。

蓮の手を避け、身を翻そうとすると、長い装束を踏みつけられて、たたらをふむ。
一瞬、手首を掴まれた。

随分長く、触れ合っていなかったふたりが、その感触にかたまる。
お互いを見つめる目が、同時に潤びた。

京子の脳裏に、良人の酷薄な笑みが蘇る。
少女は、蓮の手を振りほどいて、塗籠のうちに逃げ込んだ。
遣戸を引いて、掛け金をかける。


「…京子、ここを開けろ」


蓮は、手を遣戸にかけて、低く呟いた。


「……駄目、、あっちへ行って、誰かがくるまえに」


愛しい男の狂おしい願いは、そのまま京子の願いでもある、
しかし、だからこそ―――――。

(会うわけにはゆかない)

会った事が知れれば、蓮がどんな目に遭うか。


「なぜだ、お前は俺に会いたくないのか…あの男に心がうつったか」


京子の胸がズキリと痛む。少女は、胸に手をあて、呼吸を整える。
そんなわけがない。でも、それを言うわけにはいかない。


「……おまえが、孕んだと聞いた………」


やがて、直接あい間見えることを諦めた蓮は、遣戸に額をつけて、囁いた。


「……俺の子か……―――――」


「………違う―――――」


京子は、震える声で囁き返す。


「このお子は、殿のお子です、おまえとはなんの関係もない…」


なら、どうしてそんなに声が震える。
縋る様な頼りない声で。

一目垣間見ただけだというのに、村にいたおまえと、
いまのおまえは別人のように変わった。
蓮は、ひっそりと唇をかみしめた。
快活に笑って、健康に伸びた四肢で駆け回って。
俺を悪戯に振り回して。熱く溶ける夜も、貪欲にからんだあの時も。

(おまえは生きる悦びそのものの娘だったのに)

ふっと儚く消えてしまいそうな貴族の姫。
そんなではなかったのに。

でも。

京子だ。それもまた、俺の知らない。
もしかしたらあの男が育ててしまった、京子でない京子なのかもしれない。
それでも……―――――なお。


蓮は、奥歯を噛み締め、搾り出すように言った。


「 俺は、妻を娶るぞ 」


ぎくり、と、遣戸の向こうで動揺する気配があった。


「 だが、信じておけ、愛するのはお前だけだ 」


ここから去っても、こころはいつも傍にある、だから……。


「 どこかへゆくの………?」


震える声で、思わずというように京子は問いかけてきた。
その動揺と声音が、京子の本音だと、蓮は知った。
それでいい。それだけでいい。


「 西に行く。」


それだけ言うと、蓮は遣戸から手を離した。


「 丈夫な子を産め 」


「 蓮 」

今、この遣戸を蹴立てて、愛しい女を引き寄せて、攫ってしまえば…。
一瞬誘惑が心をかすめた。


「 からだは…――――― もういいの―――――」


話したいこと、聞きたいことが、少女のなかにどれだけたくさんあるのか。
図らずもそれが窺い知れる京子の声音に、蓮はかすかに笑った。


「 お前以外に悪戯ができなくて丁度いい 」


言い捨てると、蓮は身を翻してその場を去った。


京子は、遣戸の内で、胸を押さえた。
蓮は、知らない。毎夜のいとなみに、自分の体が良人にひらかれてしまった事を。
少女が意思の力の儚さを思い知ってしまった事を。
だから、蓮が自分に貞節を守ってくれているのが、苛まれるよりも辛いのだと。
物思いが、京子からまた、大事な何かを削り取っていく。

しかし、京子は気付いてはいない。
官能に抗いきれず、飲み込まれた後、その意志の及ばないところでは、
少女は必ず蓮を呼んでしまうのだ。縋るように、助けを求めるように。
それが、良人の妬気を呼び、愛撫の手が執拗に繰り返されて……悪い循環を生んでいた。

少女は遣戸の掛け金を外し、そっと外をうかがった。
さっきまで、そこにいた連に、泣きたいほどの恋慕を抱いて。

胸が痛む。
誰にもいえない苦しみを抱いて、京子はそこを押さえた。

 
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