■姫と下僕の物語07
<悲恋のおわり篇>


■ 三人称 時代物パラレル話
<悲恋のおわり篇>



都を出て、気がついてみれば5年の歳月を数えていた。
かたときも忘れ得ない面影がある。
この先、どういうあてもなく、彼はぼんやりと物思いにふける。


その時、一陣の風がふいて、蓮の髪をなびかせた。


呼ばれた気がして、振り返る。

簀子縁に、名ばかりの妻が伏していた。

「………村上のお家から……早馬が……」

言わせも果てず、もたれていた脇息を蹴立てて立ち上がり
足音も高く客間へ向かう。

使者は、客間で入り口に背を向け、ちんまりと座っていた。
隻眼のお師匠。
往年の逞しさは見る影もなく、妙にしぼんで見えるのが不吉だった。

「…………身罷られたよ」

老人は、戸口に蓮の気配を感じて、ふりかえらないまま呟いた。

「……産後のお肥立ちがよろしくなくてな……それ以来ずっと
臥せっておいでだったが、先日、とうとうお逝きなすった…」


誰が。


「……おからだは、姫のご遺言もあって、村上にくだされたよ………。
おかしらが、お前にも報せてやるがいいとの仰せでな。それで、わしが来た」

蓮は言葉もない。
混乱の極みに達したように、茫漠と立ち尽くした。
足元が、さらさらと砂のように崩れていく。

「…………なぜ…」

「……相変わらず人の話を聞かん奴だの……話し甲斐のない。
いま申したろうが」

老人は、ひっそりと笑った。

「………あの、男か………」

蓮の目が、底の底からギラギラとまたたきはじめた。

「あの男が、京子を………」

狂気と憎悪がゆるやかにたちのぼる。
老人は、はじめて蓮を振り返り、たわけ、と大喝した。
“そこ” から逃げ出そうとする蓮の襟首をつかむように、言葉を投げつける。

「上つ方の殿さまは、姫にも、ちい姫にも、本当によくしてくださった。
過去、村上の姫の中でも正室に迎えられた例などついぞない」

「………おまえにできたか、蓮。他の男の子を孕んだ姫を、手厚く遇し、
子をも実の親の如くに慈しむ事が、お前に出来たか。
殿さまではない、姫を殺めたのは、あのかたではない。お前だ、蓮。
我が儘でふりまわし、離すべき手を離さず、心労をかけとおし………そして」

蓮の顔が蒼白を通り越す。

「………おまえの子を生んだばかりに、姫はお体を壊されたのだ、しっかと見ろ、
姫を殺めたのは誰か、その足りない頭で考えて………思い知れ!」

途中から、蓮は座り込み、頭を抱えた。

擦れた嗚咽が、その唇をふるわせる。


嘘だと言ってくれ。

全て俺ゆえだなんて言わないでくれ。

どうしようがあった、他に、どうしたらよかったのだ。

ただ、愛しただけなのに――――――――――。

殺してしまったのか、俺が。


いまわのきわに、何を思った、京子。
こんなところに縛り付けられて、お前の元に帰ることも出来ずに、
たった一人で逝かせてしまった俺に。


………さすがのお前も……愛想をつかしたろうか。


蓮は、少年のように泣き出した。
隻眼の老人は、そっと座を立った。
老いたりといえども、矍鑠とした姿で、蓮を置き去りに出て行く。

昔は泣いていたら、京子がやってきた。
隣に座って、心配そうに覗き込んで、 小さな手で彼の頭に触れて。


( 蓮には、キョーコがいるよ )


((      京子       ))


胸がやぶれそうな喪失感。
生きていてくれさえすれば、それで良かったのだと。彼はようやく知った。
誰の妻であってもかまわなかったのだということを、彼はようやく知った。
あのやさしい少女が微笑を浮かべる日を過ごせるのだったら、
恋のひとつやふたつ、この胸に呑んで……それで良かったのだと。

蓮は、一番大事なものを失うことで、ようやくつかの間、大人の男になり――――――。

一番大事なものを失うことで、人間ではいられなくなった。


***


闇の中に、赤い光が点った。

彼はいま自分がなぜ、そこにいるのか、よくわからないでいる。


ここはどこで……。


俺は、誰だ。


腕の中には、火がついたように怯えて泣き喚く小さな女児が抱えられている。


誰だ、これは。


( 攫った………? )


「――――――――――ちい姫を、かえしてくれませんか、蓮 」


( 蓮 ―――――――――― )


おれのことか。

騒然とした屋敷の中で、貴人と鬼と、鬼の抱えた幼子のいる場所だけが
別世界のようにうち沈んでいた。

腕の中の幼子は、貴人のほうに手を差し伸べ、わぁわぁと泣きながら、
舌足らずな声でおもうさま、と呼び続けた。

( おまえが京子の娘なら、ほんとうの父は、俺だというのに……… )

幼子の顔は、京子のむかしに似ていた。
それと同時に、自分のむかしにも似ていた。

「………… 」

蓮は、興味を失ったように娘の体を下ろした。

まろびるように、貴人の方に駆けていった幼子が、その腕に抱き上げられる。

名ばかりのはずの父は、幼子にむかい、よしよし、こわかったね、と声をかけ、
抱き上げた手をゆさぶって、あやした。

寄り添う二人が、初めて会った時の京子と首領の姿と重なった。
確かな情愛でむすばれたものどうしの……………。

蓮は静かに悟った。京子が己に決して会おうとしなかったわけを。
我が子でもない娘を、これほどに慈しむ男を。
あれは、裏切ることは出来なかったろう。

………自分のこどもの抱き方ひとつわからない自分は、
この男に敵いはしないのだということが知れた。

自分はここに、なにをしに来たのだろう。
貴人にはなにひとつ敵いはしなかったということを思い知りに?
京子を喪わしめた、懺悔をしに?


「……ちがいますよ」


男は笑った。やさしげなのに、どこか酷薄な、彼の微笑。


「 京子がおまえと決して会おうとしなかったのは、わたしが脅したからです
………おまえの命が惜しければ、会うな、見るな、話すな、と。」


(そうして、あの娘は、どんどんと壊れていった…)


風が一陣、吹き抜けていった。


それでは、この男のうちにも、後悔はあるのか。


「………京子はついに手に入らなかったのだから……
せめて私からこの子はとらないで下さい」


同じ女を愛した男たちは、お互いに消しきれない憎悪を抱きながら、
お互いに哀しみを共有した。
もう、いないのだ。
愛した女は、この世のどこにも。

そして、一人はその忘れ形見を慈しむ道に正道を見出だし、
もうひとりは………ゆっくりと立ち上がった。


「……おまえにおしつけられた乳兄弟のむすめとやらは返すぞ」


手も触れていない、清いままだ、というと、貴人は片眉をあげて、
やはりお前のような男は殺してしまうべきだったのかもしれないですね…、と笑った。


自分の醜さなど、既に思い知りすぎている、だから。


――――――――――――――生者のうちには、もう用はない。




もうひとりの男は、死者を恋い慕い、狂気を全うする邪道を選択した。





****




山添いを、海に出る街道に、鬼が棲むという。

懐に、遥かむかしに亡くなった、一人の女の髑髏を抱き、
じっとそこを通るものたちを見つめる赤い目が、闇に紛れて。

通り掛かるものが夫婦であれば、幸いである。
鬼は、羨望に満ちた眼差しで、彼等の道中の無事を見守るだろう。

通り掛かるものが親子であれば幸いである。
鬼は、慈しみに満ちた眼差しで、彼等の道中の無事を見守るだろう。


しかし、決して騒いではならない。
そこを乱す人間の存在を、彼は許しはしないから。


共に過ごした懐かしい海の村にも還れず、
女にまつわる幸福な思い出の場所には寄れず。

そこがさいごの分かれ道に、
愛しい女の手を離しそびれた後悔に繋がれたその場所で。
連れて逃げることさえできなかった後悔に繋がれたその場所で。


永遠に自分を赦すことなく。


美しい鬼は、今夜も一人、懐の髑髏を抱きしめる。


愛する人よと。





(了)

 
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