■姫と下僕の物語03_1
<崩壊篇>
■三人称 時代物パラレル話
<崩壊篇>
幸福な夢から覚める時…。
蓮はうつつの狭間で、腕の中にいるはずの温もりを探った。
(………京子…?)
伸ばした手が虚しく空を切る。
ゆっくり目を開けると、見慣れた自分の小屋の中、愛しい少女の姿はなかった。
少女を抱くのに、筵ではあまりに…との思いから、
初夜の翌日手に入れた寝床を手の平で確認する。
………ほのかな温もりもない。
体の上には、京子の羽織がかけられていた。
蓮は、なにがなし不吉な思いに捕われて、身を起こした。
***
何だか空気の色が違う……。
領内を、首領の屋敷に向かって歩く道すがら、蓮は周囲を探って訝しんだ。
妙に周囲が閑散として見えるのに、一党の数が少ないのだと気付く。
首領の屋敷の裏手から門をくぐろうとして、手をかけると、手応えに阻まれた。
中から閂がかけられている。
こんな事は常にない。
そう、首領の一族が、京に上る時以外は…………。
しかし、それだったら、自分には何らかの言い付けが与えられるはずで。
蓮は、ぐるりと屋敷をまわった。
正面の頑健な門扉の前には、海賊仲間が番をしている。
知った顔を見て吐息をつくと、彼らも蓮に気付いて……
……何となく空気が張り詰めた。
(………?)
「………今日は、何かあるのか」
近付いて声をかけると、海賊たちは顔を見合わせて歯切れ悪くうなづいた。
「……おかしらが京にのぼられたのだ」
蓮は成る程と思う。裏門が閉じられていたはずだ。 が、しかし。
「………姫は…?」
中にいるのだろうか。京に…なんてそんなことは一言も聞いていない。
むしろ昨日は今日一日の過ごし方を楽しく相談して。
「………おかしらが伴われた」
蓮は首を傾げる。突然決まったのだろうか?
………なにか、おかしい。
目の前の、二人の様子も。
「………何か……」
「……姫は京にお輿入れされたのよ」
不意に、表門の中から隻眼の師匠がゆっくりと現われた。
門番に向かって軽くうなづきかけると、二人はちらりと蓮に視線をくれて、
姿を消した。
突然の事に、何を言われたのか理解できない。
老人は、そんな蓮に、中に入るようにと身振りで促す。
屋敷の庭先の一隅に腰をおろし、老人は蓮を見上げた。
「………惣領姫の輿入れがこんな寂しゅう、
闇に紛れるように行われたのははじめてだわ」
ぽつりと呟く。
「………つねなら…そうさな、一月のあいだは祝いごとに
村が湧いておったはずだ」
「………篝火を焚いて、朝も夜もなく酒を飲み、歌い踊ってな」
遠くを見るように、老人は目を細めた。
「…………姫は、さいごに村上で時を過ごす相手として、
一党ではなくお前を選ばれたのだ……」
(おまえだけを――――――――――― )
老人は、正面から、蓮を見つめる。
蓮の目には、激しい動揺が浮かんでいた。
どういうことか、わからない……いや、わかりたくない。
「……おまえはもとは余所者ゆえ、知らなんだろうが、
この、瀬戸内の水軍稼業というのもなかなか因果なものでな」
もとは大陸より渡った海人民の一族の裔である村上氏は、
長らく中央にはまつろわぬ部族として討伐の対象であった、と老人は言った。
村上家に惣領娘が生まれた場合、中央で時々の海を司る豪族に輿入れさせ、
血を混ぜること――――。
……それがいつからはじまったか、はっきりとは知れない。
ただ、それは、戦に疲弊しきった村上家に生まれ、女将軍として育った
いにしえの惣領娘が、自らを人質として中央に投じてのちよりはじまったと言われる。
それにより、熾烈を窮めた戦いに終止符が打たれ、
村上一族そのものが中央に水軍として取り立てられることになったのだ、と。
いわば、惣領娘の輿入れとは、一族が中央との和睦を承認し、
その支配を受け入れる、恭順の証なのだと。
「……我々は、代々の姫という生贄のおかげで愚かしくも生きながらえる
くつわ虫のごとき存在かもしらん」
老人は、手近に置いた細工箱からひとつ長い釘を引き抜くと、
薄い唇につと咥えた。
( 村上が中央に巣食う豪族たちと力を五分に育て、
人質なくして対等に渡り合う準備を済ますには、今はまだ些か早きに過ぎるのだ)
「………蓮、お前は頭が良い。俺が育てた中でもずば抜けて武芸の筋もいい。
おかしらが姫をお前にひと時とはいえゆるされたのも、お前の明日を見込んでの事だ」
何を言い出すのかと、蓮が老人を振り返る。
「………村上には男児が生まれ難い…………」
おかしらの血縁で、次の頭領は生まれてこそいるが、
まだ母元におかれた頑是ない赤子だ。しかし、その児もいずれは育つ。
その時に、年老いた自分たちの代わりに、傍に付き従う有能な部下がいる。
守護として、導き手として。
蓮は、首を左右に振った。
いきなりつきつけられた様々な現実に、感情も思考もついてゆけない。
「…………おかしらも、あんたも、俺を買い被りすぎだ……」
地獄のように笑う。
所詮貧しい家に生まれ、口減らしに捨てられた自分には、
一族だの中央だのの話は壮大過ぎて把握もできない。
ただ、奔放で自由気ままに見えた村上の一党の裏側に、
鎖で繋がれた飼い殺しの犬の顔が潜んでいたについては、
なにがなしの失望と……悲哀めいたものを感じもした。
…しかし……と蓮は思う。
「………あの女は」
俺を繋ぐためだけに体を餌にしたのか。
今こうして俺を捨てて親の言いなりに輿入れしていった。
おかしらに命令されて、俺を。
「………さあ、おまえはどう思う」
思いは声に出ていた。
老人はそんな蓮に対峙したまま、やや皮肉に腕を組んで言った。
「……………」
腕の中の娘の温もり。
俺の名を呼ぶ可愛い声。
あの、幸福感が偽物だと?
「………馬鹿を言った」
素直に呟く。
「………でも、俺は、あんたたちの期待に添えるような人間じゃない」
蓮は、むっつりと呟いた。
「………昔とか、これからだとか、そんな事はわからない。
俺にとってただ譲れないものがあるとしたらそれは」
俺を拾った、あの娘だけ…………。
「………姫が、おまえに村上を頼むと言っても?」
「…だからそれが」
買い被りだと言ってる。
蓮は、踵を返した。
聞くほどの事は全て聞いた…………あとは、追うだけだ。
「…………できれば、追うな」
全てを見透かして、老人は言う。
おまえにも、姫のおためにもならないことだと。
「………追えば、辛いぞ」
その時蓮にはわからなかった。
ただ少女の傍にいられればそれで良い。
そのためならば何を引き換えにしてもかまわないと思った。
引き換えにし続けなくてはならないものの本当の大きさも知らず…………。