■姫と下僕の物語02
<成就篇>


■ 三人称 時代物パラレル話
<成就篇>



「………こないだ、京にのぼった時にな、京子」

父親は、娘を呼び出し、庭の木を見つめながらつぶやいた。
ただならぬ声音に、ピクリと京子の肩が震える。
やがて、彼はどこかしんみりとした声音でつぶやいた。

「おまえの嫁ぎ先を決めてきたよ。」

「…――――――― とうさまっ 」

「左大臣家縁の殿様でな、上つ方より海軍の増強を
一任されておいでの有力なお貴族だ。」

父の言わんとしていることはわかった。
でも、なにもいま、この時に……。

「……… 」

蓮―――――――――――――――――。

「 ほのかにおまえをお見初めになられた。可愛い姫だと 」

あの上京は、そういう意味であったか…
京子は、うなだれる。
14歳………考えてみれば、もう、そんな年だった。

京子は、すがるように父を見た。
でも、もう少し…もう少しだけ。
もう少しだけ、あれと…一緒に。

「 ………おまえに、なにか心残りがあって… 」

父は、縋る様に自分を見る娘をひた、と見かえしたまま、残酷に言った。

「 嫁げないというのであれば、その心残りは
取り除かれねばならないがどうだ 」

暗に示されている、蓮の命の。
言い切る父の眼に、海千山千を乗り越えてきた海賊の首領らしい
酷薄な厳しさが浮かぶ。
京子は両手で顔を覆った。

「 輿入れは一月の後だ。行儀見習いののち、
華燭の宴は来年頭になるだろうかの 」

あと、それだけしかない。

父は、娘から眼をはずし、遠くを見た。
感慨にふけるように、どこか慰めるように。

「 大事にすることだ 」


( ここに残る日を―――――――――――――――――――)


京子は目を閉じて、そっと項垂れた。


***


次の日、京子は再び蓮の小屋の前に立った。
輿入れまであと一月。もうまもなくこの屋のあるじとは
二度と会えない道をゆくことになる。
切実だけれど青臭いすれ違いを続けて、
貴重な時間を浪費するわけにはいかなかった。

蓮。

蓮、蓮…―――――――――蓮。

いったい、いつの間に。どうして、こんなにも……あの男の事を。

遠い昔に見つけた、見捨てられたように倒れふしていた小さな男の子。

もしかしたら、あの時から自分は既に。 
あの子がほしいと父にねだったその時から、
蓮に繋がれてしまうことが決まっていたのかもしれないと。

…そう思いながらも、京子は一歩を躊躇う。
あの日目の当たりにした蓮の男の顔に、
怯えている自分には気付かないまま。

「………突っ立ってないで、入るなり声をかけるなりしたらどうだ」

ふいに、蓮の声が小屋の外からかけられた。
あわてて声の方を振り向くと、川に出掛けていたらしい、
濡れ髪のまま片袖を脱いで、葦の葉に岩魚を結わえたものを下げた蓮が立っていた。
目が合う。
先に俯いてしまったのは京子だった。

「…………一緒に食うか?」

蓮は、葦の葉を軽く持ち上げて、問い掛けた。

せっかくの上天気だから外で食べよう、というのに大人しく従う。
距離感が狂ってしまって、うまくふるまえない。
海を臨んだ高台で、石に腰掛け、手際よく火を起こして手近な枝に魚を刺し、
料る蓮を見つめた。

………よく見ると、彼はだいぶ変わった。
今までどうして気付かないでいたのだろう。自分の記憶の中の蓮は、もっと細くて…ただ綺麗で。
荒々しく何でも熟す海の男たちの間では、同じ種族とは思えないくらいに要領が悪くて。
自分が守ってやらなくてはと…………でも。
今はもう、そんな必要など微塵もない。
彼は、見事な海の男に育った。

…物思いに沈んでいた京子の目の前に、香ばしく焼けた岩魚が差し出された。
受け取ると、蓮は京子の横に座る。
いつも彼は、京子といるとき、彼女を自分より高い位置におき、
自分は前の地べたに座り込んでいた。なのに。
位置が近い。ぽそぽそと魚を咀嚼しながら京子の胸はいっぱいになった。
蓮はあっという間にいくつかの魚を平らげると、
残りを手にして京子をうかがった。
京子が首を小さく降ると、うなづいて立ち上がり、
手にした魚をひょいと空にほうりあげる。
飛んできた海鳥がそれを掠っていった。

風が幾筋か、蓮の髪をなびかせた。

日に焼けた肌も、広い背中も、空を見る横顔も、
それによって自分がこんなにも胸を痛めるのを知ったばかりで、
間もなく離ればなれにならなくてはならない。
京子は、蓮の逞しく均整のとれた後姿を見つめながら、
はじめて蓮が自分をどんな思いで見つめていたかを追体験した。

近くの川から木桶に汲んだ水で焚火の後始末をし、
京子の手から食べ残しをとりあげ、
魚の脂で汚れた手を濯ぐ。
かいがいしく世話をされている間中、ふたりは無言だった。

蓮が顔をあげる。
彼は京子の頬についた食べこぼしを見て、わずかに微笑んだ。
幼子にするように手をのばしかけ…。
ふと何か思いついたように立ち上がると、京子が何かを思うよりも早く、
身を屈めてその頬を舐めた。
少女の唇の端を、蓮の濡れた舌が掠めていく。
びくり、と京子が身を震わせた。目の前に、蓮の真剣な瞳がある。
この男に、こんなにも男に、今までしてきた迂闊な悪戯のあれこれが
一気に蘇り、京子は赤面した。


「………女と寝たのは、でないとお前をやってしまいそうだったからだ」


蓮は、京子のまえに膝をつき、囁いた。


「苦しくて堪らなかった。お前が俺で遊ぶのが腹だたしかった。
そんなときに、誘われた。」

「番うとか、そんなことは一切考えなかったし、
向こうもただ愉しもうと言った…だからやった」

「………それだけだ、お前が嫌ならしなかった。
泣かせるつもりなんかなかった。本当だ」


蓮は、探るように、京子を見つめた。指先が、小さく震えている。
それで、彼もまた、生まれてはじめての感情に戸惑っているのだと知れた。


「………おまえ……妬いたのか?」


蓮の声が期待に震える。
京子は、目を閉じて泣きそうになりながら、思い切って小さくうなづいた。

そのまま俯いてしまった少女に影がさすと、
次の瞬間その体は、強い力で蓮の肩の上に抱え上げられた。
米俵を担ぐように二つ折りにされて、背中側に手をついた京子が慌てた声で
蓮を呼ぶ。

何処へ、と問うと、小屋に戻るというぶっきらぼうな応えがかえった。
少女が戸惑い、なんとか体を起こそうとすると、蓮は、京子の脚を撫でながら、
むき出しのふとももに噛み付いた。
京子が色めいた悲鳴をあげる。


「おまえが妬く必要なんかない事を、今から存分に教えてやる」


蓮の声が、情欲に潤んで甘い。


***


蓮は京子を小屋に連れ込むと、少女を抱えたまま一隅に折り畳んだ寝床の筵を
乱暴に足でひろげた。
そこに少女を下ろし、性急にのしかかる。
京子は、いつにない蓮の様子に無意識に怯えていざった。


「………蓮、…蓮」


肩を掴まれて引き戻される。荒い息遣いが恐い。


「……蓮、お願い……」


京子は胸もとを大きくくつろげられ、未成熟な乳房を蓮の目に晒しながら
上気した頬で哀願した。


「………こわい…… もう少しだけ………」

(やさしくして……)


震える仕種が愛らしい。
蓮はからだ全体をわななかせた。もう、たまらない。


「……………入れたい…」


欲望が溢れすぎて、苦しくて、狂おしい。蓮は涙を浮かべて京子に縋った。


「……入れたい……入れたい、京子……………」


ねだる顔の。
嵐のように突き上げる欲求にたまり兼ねたように自分の股間を掴んで喘ぐ蓮を、
京子は愛おしく感じ……。
翻弄される姿に、欲情した。
そう、京子は、そうと気付くまえから、
自分が蓮に欲情していた事にようやく思いいたった。
自分は、彼のこうした姿を彷彿とさせる姿が見たくて、悪戯を重ねたのだと。


(…………)


少女は自分の欲深さにほのかに頬を染めると、ぎこちなくゆっくりと膝を立て、
片足を蓮の腰にかけて、ささやいた。


(………そのまま来て、いいよ…………)


***


太陽が高くあがり、徐々にゆっくりと沈む気配を見せても、
小屋の中の淫靡な気配は途絶えることがなかった。

蓮は一通り獣のような情欲で京子を犯して満足すると、
今度は少女の体を丹念にさぐりはじめた。

いかに悪戯ものだったとはいえ、結局のところは箱入りの姫である京子にとって、
蓮との行為は想像以上の重さと苦痛を伴っていた。
全く予想をしていなかった、あまりにも激しい蓮の情欲にさらされ、
幾度めかの交接で失神してから夢と現の狭間をさ迷うようにして、
蓮のなすがままに叫び、喘ぎ、泣かされた。
男のこわさ、欲の深さを体に思い知らされて、覚悟が消し飛ぶほど後悔もした。


(…………もう………やめて…………)


気持ちがいいのか、辛いのか。
過ぎた快感が死ぬほどの苦痛であることも、男は………教え込んで。

とはいえ勿論、蓮に京子を狂わす手管があったわけではない。
体格の良さや、周囲の大人に甘える事を許されなかったこども時代からの苦労と、
生来の暗い性格が彼を老成したように見せかけていても、
その齢はいまだ18を数えたばかりである。

若い情熱と、溜まりにためた京子への思いにつき動かされて、
成就の喜びに貪るのに夢中な状態が、京子を狂わしているのが真相だった。
そして、それは京子が意識をとばしたまま、遂に蓮の体力がつきるまで続けられた。


したたるような満月が中空に輝いていた。

それが、二人の初夜。


***


そして………一月ののち―――――――――――――――。


「………蓮、あたしは、おまえの頭の中で、どんなふうにしたの………?」


汗ばんだ体を重ねて逢瀬を楽しんだあと、京子は蓮に囁いた。
蓮の頬が、羞恥に染まる。とても、本人に言えるような事ではない。
京子は、そんな蓮を見て、悪戯そうに笑った。

「……その通りに、」

(振る舞ってみせようか…?)

蓮が、ゴクリと生唾を飲みこんだ。

言われるままに、裸のまま、両手でそこを広げ、蓮を見た。
言い出したものの、男の妄想は思っていたよりもずっと即物的で、いやらしくて、恥ずかしい。
京子は目を閉じて唇を震わせ、微かに囁いた。

(………犯して……)

「蓮の………で、」

震える睫毛をあげて、蓮を見ると、彼は舌なめずりをしそうなこわい顔で
京子を睨んでいる。

「…………いやらしい」

蓮は喘ぎながら言った。

「…いやらしい…頭の中のおまえよりずっと…やらしい………」

いいざま、おしひろげたそこに顔を埋め、思うさま舌でなぶられる。
京子は腰を震わせて快楽にのたうった。
特別な技巧もなく、ただ情熱のまま激しく交わされるまぐわい。
体の中に蓮の熱を感じ、果てるしあわせ。

蓮は満ち足りた。
幼い頃から身内に抱え続けた飢餓感が、京子により癒され、
幸福感へととって変わる。
愛情への飢え。
愛したい思いと愛されたい思いが同時に満たされ、小さな少女を強く抱きしめる。

(…………おれのものだ…)

蓮は、ゆっくりと目を閉じた。

「……明日、芦が岳に紅葉を見に行こう」

寝入りばな、蓮は京子の裸の肩を抱え込み、耳元にうっとりと囁いた。
初めて枕を交わしてから一日の間もあけずむつみあい続けてきた。

京子がおかしらの宝箱からこっそりとくすねてきたという上等な酒をくらい、
京子を抱いた蓮は、嬉しそうに明日の話を続けた。
秋の日に、紅葉で飾った京子はきっとこの上なくかわいらしい。
幸福感に酔いしれて、蓮は京子の瞳に宿る無限の悲哀を見落とした。

「………いいね…」

それはいいね、蓮。
帰りにミナカタの森に寄って、アケビを探そうよ。
そうやって、明日も、明後日も、ずっとお前と一緒に………

……………………一緒に、いられたなら、どんなにか。

京子は、酒に混ぜた薬で静かに寝息をたてはじめた蓮の腕の中から抜け出すと、
愛しい男の顔をつくづくと眺めた。知らず、涙があふれてくる。
明日には自分はもうここにはいない。遂に別れを告げることはできなかった。
なんて意気地がない女に成り下がってしまったんだろう…。
蓮は、怒るだろうか。

京子は、着物を纏い付け、簡単に前をあわせて紐で括ると、
蓮の体に着てきた羽織りを被せてそっとくちづけ、立ち上がった。
戸口で、最後に一度だけ思いのたけをこめて振り返り…。



―――――――――――――――――少女は夜の中へ駆け出した。



 
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