■千夜一夜物語_パラレルエロ03
<王様自覚篇>
しばらくのあいだ、何も特別な事は起こらなかった。
シェヘラザードの逃亡未遂については、周囲には伏せられたまま。
少女は部屋から出ることを許されない外は、それまでと同じ生活を過ごしていた。
自分のせいで命を落とした兵士と、
自分のために目を抉り取ってしまった兵士と、
その人たちへの後悔と懺悔で彼女はめっきりと面窶れし、悄然と打ち沈んでいる。
ほとんど、王がシェヘラザードへの仕置きを忘れてしまったのではないかと、
ようよう少女がいぶかしく感じはじめた、その夜……――――――――――。
まるでその時を待っていたかのように、王は特別な声でシェヘラザードを呼ばわった。
少女はおそるおそる、王の前に額づいた。
王の手のなかには、美麗な細工を施した小箱が握られている。
「……細工をさせるのに手間取った」
彼は愉しそうに言った。
小箱のふたを開ける。
首をかしげる少女に向かって、王は足を出せ、と命令した。
つと差し出した足を乱暴にひきよせて、足首に何かを嵌められる。
見てみると、それは金と銀で作った小さな鈴を連ねた足環であった。
光に当たって虹色にきらめく乳白色の宝石を、ひとつひとつの鈴に埋め込んだ細工も見事で、
その輝きは、これひとつで小さな国が買えてしまうのではないかというほどの存在感を漂わせていた。
シェヘラザードが身動きすると、ちりちり、シャラシャラと綺麗な音が響く。
王は、満足そうにうなづいた。
「…これは……?」
「……夜中に抜け出して、東屋などに行けない様にするためだ」
ぎくり、と体がこわばる。王からあの夜の出来事にふれられたのは、はじめてだった。
「まぁ…見ものではあったがな」
含み笑う声。
やっぱり、見られていたのだ、と思うと、胸が痛んで消えたくなった。
王はその少女のようすを舐める様に眺める。
あの日、あの夜、そっと自室を抜け出す少女に気付いて、思わず後を追った。
星空の下をゆっくりと悩ましげに歩く美しい少女に、
まるで少年のように胸を高鳴らせてしまったことを、彼は己に恥じている。
東屋にすべりこんで…躊躇いがちに裾から手を差し込んで。
めくれあがった布からのぞく白い足が死ぬほど淫らだった。
上気した頬に、わずかに開いた唇から漏れる喘ぎ、うっすらと閉じた目の潤みの妖しさ。
一歩も動けず、少女が果てるのを食い入るように見つめた。
いつのまにか自身が熱く猛っているのにも気付かずに。
自分に玩ばれている時は、あんなふうな顔はしない。
ただ、きつく目を閉じ、快感に流されまいと歯をくいしばるいたいたしさが王の嗜虐心を煽るだけ煽って。
あんなふうに、見も世もなく官能に流されてしまったような美しくて淫らな顔はしない。
気付くと、歯を食いしばっていた。
終わった後に、しくしくと泣くのすら、彼の胸を軋ませた。
こいつは気付いているのだろうか、自分がどれほどの色香を振りまいて歩いているかを。
あんな、薄物一枚の姿で、兵士たちの前に出て行くなど。
うしろから抱きつく少女の柔らかさに心が一瞬奪われなければ、あの兵士どもなど皆殺しにしていたのに。
ふと、視線が絡み合った。
そうだ、今日はこの女に、きつい仕置きをくれてやるのだった。
びくり、と少女の体が震える。
自分の意図を理解したのだろう…と彼はうっそり笑った。
「これを入手するのにも手間取った…。 随分待たせたな」
小箱の中にこれもまた美麗な装飾を施された小瓶が数種類。
首をかしげる少女を招きよせ、腕の中に引き込む。
シェヘラザードは、かすかに震えた。
すっぽりと王の腕の中、背中に彼の広い胸を感じる。
王の小瓶を持った大きな手が、少女の前にかざされた。
「これがなにか、わかるか…?」
耳元に唇をつけて、やさしいと言っていいほどの声音で囁かれる。
体の奥がじん、と痺れるような感覚に、少女は小さく首をふった。
王はにっこりと笑って、手近に置いてあった杯をとりあげ、
なみなみと注がれたそこに小瓶の蓋をとって中の液体を2滴、3滴と滴らせた。
褐色の…どこか不穏な香りが漂う。
そのまま、王はシェヘラザードの体を背後から強く引き寄せ、仰向かせて、
おどろく少女の唇に杯の中身を注ぎ込んだ。
思わず吐きこぼし、むせる。両手で顔を覆って、苦しそうに喘ぐ。
流し込まれたものは、強い酒だった。
妙に口に残る甘さが気になった。
喉に手をあて、肩で息をしながら王を振り仰ぐと、王は立て膝に肘をついたいつもの姿で、
頬杖をついたまま、手にした杯を褥に放った。
「………安心しろ、毒ではない―――――――――――」
何を考えているか、窺い知れない黒い目。
……どのくらい見つめあっていたのか、
シェヘラザードはふと、自分の体の奥底からわきあがるような小さなさざなみを感じて戸惑った。
それが、官能の小さなほむらだと気付いた時には、みるみるうちに膨れ上がっていく衝動に、
小さな悲鳴をあげていた。
「……………どうだ? 媚薬の味は……」
王が密かに含み笑う声。
性感という性感が、むき出しになってしまったかのように、少女の体を駆け巡る。
王の指が耳を掠めて、それだけでシェヘラザードは甘い声をあげた。
「……ど―――――――――――」
どうして。 なぜ…。
「…………なんでも、どのようにしてもよいと、言った…」
確かに言った、でも、それで、どうしてこんなことに。
鞭打ちでも、石打ちでも、労役でも…罪を贖うには、ほかになんでも…。
「…おまえが一番こたえるのはこれだろう…?」
王は正しくシェヘラザードの心を見抜いて囁く。
「おまえは、お前の意思で、今宵おとめを捨てるのだ、無論、賭けの約束はたがえまいぞ、
俺は手を出さぬ…安心するがいい」
王は、内心の飢餓感に思わず胸を喘がせた。
強情な娘が、どこまで耐えるのか知りたかった。
この娘が、他の女と同じところに堕ちるのを切実に見たかった。
「お前の意思でおとめを捨てるのであれば神も文句は言われまい、奪われるのではなく、
妻が妻の意思で神を裏切るのだからな……」
薬で意思を奪っておいて、なんという詭弁を、と思うと我ながらおかしくなったが、
表にはおくびにも出さず…ただ僅かに苦笑が王の頬に浮かんだ。
妻が妻の意思で……何故かどこかでかすかに何かが痛んだ。
そうしておいて、居室に側付きの小姓のうち、一番に美しい年若の少年を呼び入れた。
それならば、この強情な少女も欲情に負けてこころを解くか、という算段だった。
この少女は耐えられまい、盛った薬は量をこそ加減したというものの、
大の男でも音をあげる、そういった類の拷問薬だった。
耐えられず、男をくわえこめば、俺は明朝には安心してこの娘を殺してしまえる。
妻として、良人になるべき自分の前で、如何なる理由があれ他の男をくわえこむ。
万死に値する。
王は、少女を処刑してしまいたがっている自分にふと気付いた。
何故だ…?と自問する。
女だからだ、と、応えを返す。
それならば、さっさと殺してしまえばいい。こんな娘に、これほどの辱めを与える必要はない。
そう、逃げ出したその時に切り捨ててしまえば良いだけの話だったではないか?
それを、わざわざこんな薬を使って、無理矢理に花を散らさせて…
しゃら、と、少女の足首に自分が嵌めた鈴が鳴った。
そうだ、あれは、ではなんのために?
あの娘の細い足に似合うように、熟練の細工師に命じて…白い肌に映えるよう、金銀を連ねて。
常にはない乳白色の金剛石まで探させて。どこにいてもその存在を俺が嗅ぎ取れるように、
二度と逃がさないように。なのに…なぜ。
王は混乱したまま、手にした新しい杯に口をつけた。
少女は、獣のように身内を犯す衝動とたたかっていた。
召される前、どのような生活を想像していたとしても、流石にこればかりは読みかねた。
王の、残酷にすぎる淫蕩さと………女への怒り。憎しみ。
嵌められた足首の鈴輪がしゃらしゃらと音を立てる。
小姓は、恐れ入りながらも、少女に近寄ろうとする。
少女は、情欲に潤みきって涙すらたたえているくせに、決して屈しない強い目でそれを制した。
(側に来ないで)
張りつめきった糸が切れないように。
自分の心の中の一番大事な恋。体の悲鳴がそれを裏切らないように。
シェヘラザードは泣きながら王を見つめた。奇妙に、なまめかしく、体が蠢動する。
どうして…。
あなたは、わたしに、こんなひどいことを。
王、なんてきれいな人。
残酷で、酷くて、意地悪で、なのに…。
(こんなにもお慕いしているのに)
恋に託して、恋しい人をただただ見つめて。
嵐のような肉体の衝動を、恋にすりかえて。
王は、喉がからからに渇いている自分に気付いた。
火がついてしまいそうなほど熱い目で見つめられている事が何を指すのかは知らず、
この生意気な娘が、いたいけにも媚薬のちからに逆らって、きっと酷く苛んでいるだろう情欲を
手近な男で慰めようとしないのにふと胸が熱くなるような感覚を覚えていた。
( ―――――――――――――― 期待……している……のか?)
ふいにひらめくように思い至った。
自分の行動の整合性のなさ。
自分は、この少女に、今までの自分が持つ女というものの認識を覆される事を、期待して…。
だが、何故だ。何故自分は、そんな期待をこの女にかけている。
………またわからなくなった。
シェヘラザードはしかし、最後の衝動に飲み込まれそうな自分を遠くに感じはじめていた。
その波は、これほどぎりぎりまではりつめた心を大きく飲み込んでさらってしまいそうな予感があった。
それで、私が壊れるならば。
こわれるくらいなら、いっそ。
指輪の中に、もしものために、父が持たせたとっておきの薬を。
王が、はっと体をこわばらせた。
シェヘラザードが指輪をさぐり、口元にあてた…それの意味するところを察知して。
手にした杯を投げつけ、すんでのところで含ませるのをとどめる。
シェヘラザードが見も世もなく泣き崩れる。王はそのまま褥に乱暴に押し入り、
手を振って小姓を追い出した。
「しなせて、しなせてくださいまし、これ以上は耐えられません、どうか…どうか」
腕の中でシェヘラザードが身悶える。
それをなんなく押さえ込み、思わず王は唇を噛み締めた。
(こんな女が ………こんな女が )
こんな女がいるなんて。
シェヘラザードは堰がきれたように泣き叫んだ。
王への呪詛、ひどい、きらいです、さわらないで…と。腕の中でかよわくもがく。
王は身内に染みていく衝動に、きつくきつく腕の中の少女を抱きしめた。
「…… 死ぬな ――――――――――――許さん。」
この女は、肉欲に溺れるくらいならば、死ぬというのか。
なんという違いだ、なんというひたむきな、なんという…。
「……もうわかった、二度とこのような戯れ事は行うまい、賭けも守ろう。俺はおまえを犯さない」
少女の顔をくるむように大きなてのひらでつつみ、涙でぬれて熱を帯びた頬にほほをよせる。
胸が痛んだ。
これは、これが…ではこれが…。
一体、いつのまに……なにが、どうして――――――――――――。
こんなふうに、この少女を。
王は、シェヘラザードの体をおし抱いて、褥に横たえた。
そっと、その足をとり、くちづける。
シェヘラザードが甘い喘ぎをもらした。
「………この苦しみを、醒ましてやろう…それだけだ」
怯えて自分をみつめる情欲にうるんだ瞳に、安心させるようにうなづきかける。
いまの少女には、王の豹変の理由をはかる余裕はない。
気付くとなよやかにうなづいていた。
王の手が胸を揉みしだき、かぶさってくる。
首、頬、まぶた、いたるところに王の唇を感じ、きつく抱きしめられて
ゆっくりと少女の意識が遠のいた。
「安心するがいい、おとめのままだ、おまえはずっと……… 神が俺に赦すまで…」