■千夜一夜物語CM03-ピンキーさん元ネタ使用


■ 三人称
<センテンス1:邂逅>


助監督のキューサインが出て、
キョーコはゆっくりと自分の立ち位置についた。
目を閉じる。

( 私は、シェヘラザード。わたしはいま、広い王宮の庭園に迷い込んでしまった……… )

すうっと息を吸い込んで、キョーコはイメージの中に彷徨いだした。

( こぼれるような…月光の夜……―――――)

庭園のセットの中で、蓮のシャーリアール王が、低木にもたれかけさせた花嫁役の女優を抱き寄せている。
それを見つめるキョーコの中で、現実がゆっくりと変容をはじめた。
自分が「最上キョーコ」である、という自身の認識そのものを、ゆっくりと手放すように。
彼女が目をあけると、そこは月が煌々と輝く、王の宮殿…。

ひとみの先に、さきほどまで婚姻の宴の主役だったふたりがいる。
ひらりと風に舞う花嫁の薄物。
王の手の中のいけにえの花嫁。

ふたりが行っているその行為の意味に気づいて、シェヘラザードは思わず足を止めた。
その気配に、王がゆっくりと闖入者をふりかえる。

(――――――――――)

王の美貌。
まともに目が合い、彼女は一瞬ほんとうに息を忘れた。
心臓を鷲掴み、引きちぎるような衝撃。

ゆっくりと頬に血が上る。
華奢な手を胸の前で握ったシェヘラザードは、わななく桜色の唇をわずかにひらいて―――――
無垢に頬を赤らめた。


(おおっ…?)


…撮影スタッフの一群から、声にならないどよめきが漏れた。
瞬間、じろりと背後を一瞥する黒崎の鋭い目に威圧されて、皆慌てたように姿勢を正す。

セットの中で立ち尽くすシェヘラザードの姿は美しかった。
先ほどまでの最上キョーコとは、立ち位置からふるまいまでが一変している。

(こいつは面白い)

黒崎がうっそりと笑った。

なめらかすぎる白い肌、背を流れる艶やかな黒い巻き毛。
震える睫まで見て取れそうな、嗜虐の欲望をそそる華奢な姿。

王である蓮は、その姿を目の当たりに、深く自らのうちにイメージを膨らませた。

おそらくは臣下の娘であろう高貴なつつましい娘。
淫猥な状況に頬を染めた表情を、彼の中の王は好ましく感じた。

王は、値踏みをするように、シェヘラザードの全身をねめまわし、面白そうに片眉をあげた。
情事の前で、逃げ出す事もかなわずに、竦んだように立ち尽くす白い娘に、
さらに淫らな行為を見せつける残酷な快感。

王の腕の中で身も世もなくすすり泣く花嫁。

シェヘラザードはかすかに喘いだ。息が苦しくて。

彼女は今まで、どうして、世のむすめたちが、翌朝を迎えられない花嫁の立場を知りながら
それをおしてなお王に召されるのか、ずっと不思議だった。 ずっと。

…シェヘラザードはいま、それがなぜなのかをようやく理解した。

花嫁はみな、王に恋したのだ。
一夜の夢でかまわないほどに。

でも、王は…―――――。
花嫁など、誰ひとりその姿をみていない。
はるか昔に自分を裏切った、いまはもういないはじめての王妃だけを許せずに。

視線が絡み合い、許しがたい背徳の快楽が体をふるわせる。
王は、腕の中の花嫁を一顧だにせず、立ち尽くすシェヘラザードを見続けた。
花嫁のなかに果て、その白い首に指をからみつかせ、絞めながら…。
視線で、花嫁ではなく、シェヘラザードを犯すかのように。

ゆっくりと、からだのうちにかなしみが充満する。

王よ…王。
あなたの中のその大きな欠落はあまりにも悲しすぎて、私をさいなむ。
その残酷なしうちをあなたは誰に行い続けているのか。
あなたを恋するたくさんの娘たちの、その報われない命がけのおもいはどこにいくのか。

ひとつ、ゆるやかにまたたき、王を直視すると、
彼は何かに驚いたように大きく目をみひらいた。

黒崎がはっと顔をあげる。
周囲のスタッフまでもが一瞬色を失った。

(最上さん……―――――?)

王の仮面の下から蓮自身が驚きの声をあげた。

シェヘラザードが王を見る。
おしひそめたような怒りと、無限に広がる悲しみにけむるその表情は、許しがたいほど不埒だった。

王の腕の中でこときれた花嫁がくずおれる。

むすめは物言わぬむくろと成り果てた花嫁と、王を交互に眺めると、もう一度王に視線を戻して、
今度ははっきりと蔑みのかたちに眉をひそめた。

口元を薄物で隠し、美しいシェヘラザードは身を翻した。
ふとその後を追おうとしている自分に気づいて、王は愕然とする。

( あのむすめは誰だ。あの顔は…、あの目は )

(……これでは―――――)

蓮は戸惑った。シェヘラザードの複雑で印象的な表情は、蓮の中の王の気を急速に惹いて、
その瞬間に恋に落ちかけた。
この段階では、王の立場が上位のはずだ、そう思いながら、引きずられそうになった。

驚いた。


****
<センテンス2:求婚>


夕べの少女が大臣の愛娘、シェヘラザードであることを突き止めた王は、
早速次の花嫁として彼女を所望した。
大臣は、うちひしがれ、嘆き、悲しみながら、娘に王の求婚を告げた。

(私の宝石。ただ嫁ぐならばともかく、婚姻が永劫の別れに繋がるこの出来事に、
どうして私が耐えられよう。私はいっそ王と刺し違えてしまいたい…)

顔をおおって嘆く父を見ながら、シェヘラザードは昨夜の出来事を反芻した。

胸内にひっそりとした冷たいほのおが灯るような不快さを感じる。
昨夜身罷られたのは迎えたばかりの花嫁ではないか。
その手で屠っておきながら、翌日には別の娘を迎える算段を行うなど、冷酷非情にもほどがある。
彼女自身、その不快の理由にはうすうす感づいていた。
王は、あまりにも妖しく美しい存在だった。
そう、最初の王妃がなぜ彼を裏切りなどしたのか、彼女にはまったく理解できなかった。

(私があのかたに、はじめに召されたのだとしたら…)
(私は決してあのかたを裏切りなどしなかったのに…)


(おとうさま…)

父の膝にしなだれかかり、少女は甘えるように言った

(いけません、わたくしのために王に反旗を翻すなど)

(わたくしは参ります。ただ、お願いがあるのです)

(わたくしは未だおとめ、お傍に侍ってもお閨の相手はつとまりません)

(どうぞ花嫁としてではなく、お夜伽の語り部として……)


父は喜び、むしろそのようにと積極的に働くことを約束した。


***
<センテンス3:対峙>


「未だおとめと聞いたが」

王は尊大かつ不機嫌に言い放った。
両脇に女奴隷を侍らせ、大きな羽で風を送らせながら、
豪奢な敷き物にたくさんの羽毛をつめた絹袋をひいて座り、立てた膝で肘をささえ、頬杖をつく。

目の前に額づく娘は確かに、あの夜のあの少女だ。
あの、生意気な目をしておれを睨んだ、不遜な。

「花嫁がつとまらんでは所望の意味が無い。おとめでもかまわぬ、おまえは明けの日の花嫁だ」

面白くなさそうにひらひらと手を振る。
シェヘラザードは慎み深く、しかし断固として、伏したまま王に言葉を返した。

「お恐れながら王、ひとは童形・乙女であるうちはみな等しく神のつま。
神の妻を盗めば王ご自身の身に災いがふりかかるやもしれません……」

王は胡乱そうに目の前の娘を見つめた。
吹けば飛ぶような華奢な体が自分に意見するのを不興がるように、面白がるように。

「ご所望のおりにわたくしが乙女であったことこそ、この婚姻が神に嘉されていないあかしかと。
であればこそ神の許しが下るまで語り部としてお傍にはべり、時を待たせて頂きたく存じます」

王である身として、神への不遜はすなわち神の子たるおのれへの不遜として返る。
王は不承不承頷いた。
それへちらりと目線を投げて、シェヘラザードは顔をあげ、正面から王を見つめた。

「…王よ」

ほほえみを含んだかわいらしい声。

「わたくしと、賭けをいたしませんか」

「賭けと」

「はい、いまより千の夜を数えてのあいだ、わたくしに月のものがおりて来なかったそのときは」

「その時は?」

「この婚姻は神に障りがあるものとのご証明とし、わたくしを父の元にお返しになると……」

「………………」

思わず王は押し黙る。
こめかみに指をあて、壮絶な流し目をくれると、目の前の少女はまた静かに平伏した。

「おまえは…―――――」

王の声が尖る。

「余を、いや、この俺を、好もしく思っておらぬようだ?」

シェヘラザードはつと顔をあげた。よく見ると、成る程これはと思うほどに美しい娘だった。
つややかな唇が笑みを浮かべると、花のように可憐で可愛らしい。
王は、己と花嫁の情事を見せつけた時の、頬を赤く染めた娘の顔を思い出した。
なんとなく胸を衝かれるような思い。

彼女は、こくりとうなづき、擦れた甘い声で囁いた。


「大嫌いです―――――」


「………よかろう」

王の目に、残酷な光が灯る。

「では、俺の賭けが成った時は、おまえを」

王は自分で驚くほど厳しい声で言い放った。

「この城の外に住む、この世でもっとも穢れた男どもに投げ与えることとする」

シェヘラザードは、幾分青ざめながら、しかし優雅に額づいた。

(許しも請わないとは、生意気な娘だ…)

目の前の穢れない娘が、汚らしい男どもに蹂躙されることを思うと、王の心が薄暗い悦びに高ぶった。
自分を嫌いであると言い放つ臣下の娘。今ここでムチ打ちの刑に処すこともやぶさかではなかったが、
おのれの前で恐れ気も無くすっくと立つ娘をそれで殺してしまうのはいかにも惜しいような気がした。

「…が、しかし………」

王の目に、なお淫らで残忍な色が浮かぶ。

「そなたがおとめである証を俺は得ておらぬ。
すでに謀っているのであれば賭けどころか、婚姻を逃れる理由にもならぬ」

王は、悠然と指をふって左右の奴隷に退出を命じると、その手をさしのべてシェヘラザードを招いた。

はじめてすこし、少女が目に見えてひるんだ。
王の全身から発散する、悪意に満ちた淫猥なものにあてられてしまったかのように。
王はそれを見て少し気を良くした。

「着ているものをすべてとり、その体をひらいてすみずみまで俺に見せよ、
月の兆候を示すものがその身に隠されてはいないか、
その身をまとう香に月のものの兆候が現れてはいないか。」

したたるような毒をこめて、王は嗤った。

「これより千の夜をむかえる間、あるいはその身に月のものがおりるまで、おまえは毎夜俺に証をせねばならぬ」


(うっわ、エッロー………)


……その瞬間、その時その場にいたスタッフ、他のキャスト、監督でさえ異口同音にそう思った。
黒崎は、ごほん、と声に出さない咳払いで気を取り直す。


( 実際脱がすわけにゃいかんし、このセンテンスはココまでか… )


カットをかけようと、のそりと体を起こす。
基本的に彼は、演技の中身を詳細につくり込んで役者を動かすタイプではなく、
状況設定、あるいは行動を役者に提示し、そこに至るまでのモチベーションを含めた
役柄の人物像については役者自身が作り込み動かすことを持って是とする監督だった。
状況をセンテンスごとに分け、勝手に動いてもらい、撮影をする。
そこから編集作業で、商品イメージと自分の感性に合致した絵を取り出し、一気に世界観を構築する。
CMという限られた時間の中では、時間をかけて撮影した映像の9割方が日の目をみることはない。
その、オクラに入った9割があるからこそ、1割の映像が生きるのだということを彼は身をもって知っている。

しかし、今日ばかりは少し、それがもったいないような気がしていることも事実だった。


( しっかし敦賀氏… )


思わずにやりと笑ってしまう。


( えっろいなー…まじで… )


あんな夜のファンタジスタにスゴまれたら大抵の女は生き地獄だぜ…と横ごとを思いながら、
カットの指示を助監督に出す。京子のヤツ、そんな相手を向こうになかなか頑張っている。
ふと、なにかがよぎった気がして、黒崎はカメラの先を振り返った。
見詰め合う、王とシェヘラザード。
シェヘラザード。


( ちょっと待った、待った待った )


あわてて助監督に出しかけた指示を止める。

王を見つめるシェヘラザード。
ひとめで恋をした王から、意地悪で、残酷で、淫らな命令を受けた、処女。


( うぉっっっ )


ザワッっと空気が色をなした。


( あ――――― )


直接目の前で相対している蓮でさえ、一瞬のまれそうになった。

王を演じる自分と、敦賀蓮である自分と、本名の自分と、男である自分が、
高密度で圧縮され、目の前の少女に引き寄せられた。

処女の妖艶………。

ひたと据えられた瞳の、潤んだ艶かしさと、痛々しさ。
瞼がふうっとふせられ、その目がかすかに周囲に助けを求めるように落ち着かなく泳ぐ。

男が女に対して持つ、本能的にかばい、守り、慈しみたい欲求と、
欲望のままにとりひしぎ、乱暴に犯してしまいたい欲求を同時に刺激する表情。

細い手がつと動き、己の体を抱くように前でちいさく握り合わされた。

髪の先まで滴るような…芳醇な色香。
王への、目覚めたばかりの初々しい初恋。
恋するがゆえにこそ、王のその淫らな物言いに、心ならずも震えて……恐れて。
少女の中に女の顔を覗かせる。その淫ら。

蓮は、自分が生唾を飲み込む音を聞いた。
これは、なるほど、最上さんではあり得ない。
だったら……自分もこの少女にふさわしく、暴虐な王であらねばならない。


(王、だったら……この場合は―――――)


いまはまだ、この少女を目の前にした、この衝撃を訝しく思うかもしれない。
何故か、心が揺れる。残酷に快く思う自分と、あまりに小さくかよわく、いたいたしい存在に
胸が痛むような自分と。
そう、この瞬間だ…―――――。

王は、すっと唇を引き結んだ。
勿論、逃がしはしない。許しもしない。とことん辱めて、泣かしてやる意思はそのままに。
胸を過ぎる一抹の痛みに新しい気持ちが生まれた事を気づきもしないで。


「 はい、カーット!! 」


一気に力がぬけて、ほうっと息をつく。
蓮は両手で頬にかかる鬘をすきあげ、身内に残る火照りを認識しながら、
これは当分さめそうにない…と苦笑した。

ふと足元で座り込むキョーコに気づき、身をかがめる。
抜けたくても抜けられないでいるキョーコの前で指を鳴らす。
…戻っては来ない。


(今は…まだ、抜かない方がいいか…?)


「おー、ごくろうさん、ちょっと休憩入れようや」

どこか熱にうかされたようにどかどかやってきた黒崎を、連はそっと手をあげ、押しとどめた。

「…どうした?―――――…」

黒崎が、ひょいとキョーコを覗き込む。

「……あー、ナルホド。憑かれてんなこりゃ」

どうりで、と言いながらカッカッカッと面白そうに笑うのに、つられて蓮も苦笑する。

「コイツはいつもコウなんのか?」

「…そうですね… ちゃんと共演するのはこれが二度目なので、俺もいつも…と言うほどは知りませんが…
…ダークムーンの時も特に役を掴んだはじめはこんなふうでした。」

「難儀なやっちゃなー」

黒崎は肩をすくめた。
どうする、と蓮にきいているようでもある。

「この集中は今は途切れない方が良いような気がします。
俺がここに付き添っていますから、監督は休んで来て下さい」

「………」

ふと、黒崎は蓮を見上げた。

「………?」

視線を感じて蓮が黒崎を見る。

黒崎は、呆然と座り込むキョーコに視線を移し、もう一度蓮を見て、僅かに目を眇め、
口元をちょっと緩めると、手の甲で蓮の肩を軽く叩いて 「じゃ、まぁ、頼んだ」 と言った。
黒崎のその反応に、からかいめいた色を嗅ぎ取っていながら、蓮にはその意味がよくわからない。
ただ、なんとなく面白くない気分になった。

(業界トップ独走中の人気俳優が、デビューペーペーの新人俳優に、甲斐甲斐しいマネージャー宜しく付き添うか?
面倒見良すぎるっつーの、そのへん全然自分で気付いてねーし)


こっそりと、黒崎がそう考えているなどとは思いつきもしなかった。



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