■千夜一夜物語CM04-ピンキーさん元ネタ使用
■ 三人称
<センテンス4:成就>
千の夜の成就の日………。
シェヘラザードは王の居室でいま、その夜を迎えようとしていた。
夜伽の物語も尽きようとしている。
王は、どこか憮然とした面持ちで、シェヘラザードの膝に頭を乗せていた。
幾百もの夜毎繰り返された王の手による証だてに、シェヘラザードのからだは無垢なまま、
成熟を深めている。
はじめて出会ったあの頃よりも、少女はずっと大人びて。
(………なのに、なぜ )
終に、おとめのままだった………。
王は、こっそりとひとりごちた。
いつからだろう、この体に月のものが降りてくるのを、焦がれるように待っている自分に気づいたのは。
気づけば、彼女を下賎の輩に投げ与えるなど、考えられなくなっていた。
夜毎の証立てが生殺しの苦痛になり、それまでろくに聞いてもいなかった少女の物語の先が
気になりはじめ、こころからそれを楽しんでいる自分に気づいた時に、
その聡明さと知性に己の知る毒婦とは似もつかぬ聖女の存在を知った。
なのに。
( 神の御心に沿わぬ婚姻…――――――――――― )
はじめの日に、シェヘラザードが言った言葉が王を苦しめる。
黙ったまま、起き上がると、王はシェヘラザードを褥の上に突き倒した。
小さな悲鳴。
いつかの夜、王の手づから与えた金と銀の小さな鈴の足環を巻いた、
細い足首を掴んで絹の裾を捲り上げると、
少女ははっと息をのんだ。幾度その身を晒してさえ、その羞恥には慣れないようすで。
「なぜだ」
失望に満ちた声。
月のものは兆候さえ見当たらなかった。
王は褥から立ち上がり、イライラと足を踏み鳴らした。
放り出された格好のシェヘラザードは、行儀良く足を揃えて起き上がり、裾を直す。
目の前で憤り、癇癪をおこす王のその理由を、彼女はうっすらと考えてみる。
終に彼は賭けに負けようとしているのだ。これほど憤りを感じるほど、彼にとってそれは屈辱なのだろう。
王の敗北。それはシェヘラザードにとっては、王との別れと、明日からの生を示している。
彼女は、この千日ものあいだ、一日も欠かさず飲み続けていた苦い丸薬のことに思いを馳せた。
実のところ、彼女は王より召された時にはすでに初潮をむかえた若い女だった。
王宮に入る前、東の魔女を訊ね、乙女でありつづける薬とひきかえに、王への思いを伝える言葉を捧げた。
(おまえはこれから先、どれだけ王に心を奪われても、決してその思いを口にする言葉を持たないよ)
魔女はシェヘラザードから受け取った言葉を満足そうに抱いて、言った。
それらはきらきらと輝いていて、まるで宝石のように美しかったことを覚えている。
(でもね、たったひとつ)
魔女は微笑む。
(あの暴虐で淫蕩な王の方からおまえに、おまえを愛しますと、好きだと言うんだね。
誓いをたてて下さり、もしもそのあかしをもらえたなら…)
(……この言葉たちを、かえしてあげよう)
とてものこと、その可能性はないように思えた。
ひっそりと、胸の痛みを感じるのは、幾百もの夜を、王を謀って過ごしてきたからか。
王に恋した最初の日の夜から、今日この日まで。
それでも彼女は、一夜で殺されてしまうわけにはゆかなかった。
この、女と名のつくものの全てをあざ笑い、踏みにじる美貌の王に、熱い思いを知らせたかった。
だからこそ魔女は彼女から一番大事なものとして、言葉を捧げさせたのだ。
いつのころからだろう、薬を飲むことをためらうようになったのは。
王に抱かれ、翌日に亡くなる、それもまた幸せだったのではないかと思うようになったのは。
2999人もの花嫁の葬列。彼女たちはそれでも幸せだったのではないかと思うことがある。
それでも謀りの薬を飲みつづけていたのは、己にはすでに王のものになる道は喪われている事と、
一日でも長く、この人の傍にいるためだったのだけれど。
( あ………)
その時、ふいに唐突に、ズキリ…と、下腹部が痛んだ。
千日のあいだ、忘れていた感覚。
(あ…―――――――――――――――――)
胸が早鐘を打ち鳴らす。
(何故…――――――――――――――)
シェヘラザードの体から流れ出ていくもの…。
彼女は、体をこわばらせた。
(あ…あ、いや…――――――――――――――いや )
投げ与えられる、王以外の男に。
血の気がひいた。
王がふと、訝しげに振り返った。
白い夜具、白い衣、青ざめたシェヘラザード。
もう一度確認しようと手を伸ばすと、今度は少女は抗った。
王は、首をかしげた。
両手首を一つに掴み褥に押し付け、裾を捲り上げると、泣き出す。
王は、自分の胸が高鳴るのを感じた。
「 お許し下さい…――――――――――― お許しください…… 」
頭をふって、足を閉じ合わせようとするその間から、鮮やかに赤い色彩が毀れ出す。
王はそれを認めて、狂喜した。
「……賭けは俺の勝ちのようだ、シェヘラザード。神はおまえを俺によこした、おまえは今宵から…」
つくづくと少女の顔を覗き込む、涙に濡れたいたいけな顔。
なんてかわいらしいのだろう。なんて不埒な。なんて…いとおしい。
「俺のものだ」
嫌がっても、泣いても。
シェヘラザードは王のようすに、涙に濡れた目をあげた。
(………?)
よく、わからない。
じっと見つめると、王の目が愛しさに解ける。
淫蕩さでなく、横暴さでなく、シェヘラザードがはじめてみる顔で。
「わたくしを…投げ与えておしまいになるのですか」
怯えて言うシェヘラザードに、王は満足そうに笑った。
「おまえは殊に生意気であったから、それもまた良いかもしれないな」
王の戯言を真に受けて、腕の中でかなしい声をあげて少女が身悶えする。
仕方の無い王は、それを残酷に愉しんでいる。
(随分焦らされた分は、甚振らなくては済まない)
「…嬲り者は嫌か 」
頷く。
「俺に抱かれるよりは良いと言ったぞ」
かぶりをふる。
「では」
「言え、おまえのその可愛らしい唇から、俺の愛を受けたいと」
愕然とする。
愛を伝える言葉も…愛を乞うる言葉も。
( おまえは持たない )
魔女の声。
シェヘラザードは、睫を震わせて目を閉じた。
「……そ――――――――――――――――」
消え入りそうな声。
「…そうしてお気が済まれたら、わたくしのこの首をしめておしまいになる?」
涙に濡れた悩ましい流し目で核心を衝かれ、王は一瞬言葉につまった。
そこでふと自らの心をふりかえる。
かつての妻に抱きつづけた怒りと憎しみは、いつのまにか影も形もなく霧散されていた。
「………絞めぬ」
苦虫を噛み潰したかのような忌々しそうな顔で、王は言った。
この女にふりまわされているうちに。
いつのまにか、この女のことばかりで頭がいっぱいで。
かつての妻の面影は、すっかり遠くになっていた。
3000人目の花嫁。
「…おまえは、絞めぬ」
驚いた表情で、シェヘラザードは王をみつめた。
王は、憮然とした表情のまま、静かにシェヘラザードのひたいを撫でた。
みつめううち、王の目が、ゆっくり剣呑な情欲をたたえる。
それを目の当たりにしたシェヘラザードの頬に、はじめの日、王の情事に出くわした時と同じ朱が浮かび、
瞳がうるんでほどけるような悩ましい表情になった。
王は満足そうに、シェヘラザードの様子を見守った。
「 さぁ、俺はおまえを愛したと言っている。おまえはどうだ、これが最後の機会だと思え 」
涙があふれる。
喉を縛り付けていた枷が緩やかに外れ、眼裏の魔女が女神に変じた。
「 ………お慕いしています、はじめてお庭でお会いした、あの日から 」
王は、驚いたようにシェヘラザードをみつめた。
しばらく黙って、恐ろしそうに眉をひそめる。
「 こいつは とんでもない策士だ 」
王は、笑いながらそっとシェヘラザードの頤に指をかけ、持ち上げて、唇をよせた。