無限抱擁01■キョーコ
視点


目が覚めたところは、いつも寝起きしているだるまやの2階ではなかった。

(あれ…―――――? ここ、どこだっけ…―――――)

高い天井、ぐるりと頭を巡らせて、寝返りを打とうとして…。
体に走る激痛に、思わず唸り声をあげてしまった。

「〜〜〜〜っっっ…」

下半身が、デリケートゾーンが、 いっ、…いたぁい…。
体中がギシギシ悲鳴をあげる感じ、股間から全身に伝わるあまりにも生々しい異物感。
同じ場所を襲う痛みに、手でそっとそこを触れると…
何だかよく分からないけれど、手当てらしきことがされてあって…
―――――…それで全部、思い出した。

思い出したとたん、心臓が音をあげた。吐きそうになる。

(敦賀さん…!!!)

そうだ、ここは敦賀さんのマンションだ。そしてこれは…敦賀さんのベッド。
代マネの時に一度泊まったゲストルームではなく、敦賀さんのベッドに寝かされているということが
さっきまでの現実がほんとうにあった出来事だと端的にあらわしているようで、私はまた軽いめまいを覚えた。
ふと気づくと、私は敦賀さんのとおぼしきパジャマを着ていて…―――――。

敦賀さんの匂い、感触、気配。ぐるぐるとあたまのなかがまわる。気持ちが悪い。
なにもかもが―――――悪い夢のようで。

(……………… )

静かにドアが開いて、部屋の主が入ってきた。
心の準備が何も出来ていない私は、とっさに寝たふりをした。
近づいてくる気配。ベッドの脇に腰をおろして―――――かすかな音をたてて、ベッドが軋んだ。

(………っ)

ひたいに散った髪を指ではらわれて、思わずビクリと身を竦ませてしまった。
かすかに、ささやく声。

「……そんな顔をしたら、寝たふりにならないよ―――――」

低い声でどこか自嘲的に笑うのに、ゆっくりと目をあける。
敦賀さんはいままで私が見たこともないようなほの暗い顔をして、私を見ていた。
しばし、見つめあい… つと伸ばされた手が頬に触れようとした瞬間…

「………っ」

思わず体が竦んだ。

自覚した恋心と裏腹な恐怖。
自分でもよくわからないその感覚に驚く。

「……最上さん…?」

いぶかしそうな敦賀さんの声。
ゾクっとした。なんだろうこれは―――――これは、 まさか

(嫌悪感…―――? まさか  )

敦賀さんが身をかがめて、私を覗き込んだ。
悲鳴をあげてしまった、全身に鳥肌がたっている。

(なん、で…―――――?)

自分のことが自分でわからなかった。
触られたくない、傍にこないでほしい、見ないでほしい、あっちにいってほしい。


『 気持ち悪い 』


…気持ち悪い… 自分の、その感覚が信じられなかった。
そんな感覚を、いままで敦賀さんに対していちども抱いたことなんかなかった。
彼が私を見ている、と思っただけで、吐きそうになった。

(う…う―――――)

思わずシーツを手でかき寄せる。瘧にかかったように体がガタガタと震えた。
敦賀さんは、私の異常な反応に半ば呆然としたまま、こちらを見ていた。

敦賀さんの携帯が鳴った。

「……はい…」

立ち上がって、私の方を見たまま敦賀さんが電話に出る。
そういえば、今はいつで、何時なんだろう…と場違いな物思いが脳裏に浮かび上がった。

『れん〜〜〜っっ おまえキョーコちゃんのことちゃんと送ったよなあぁああ!?』

電話越し、私にまで聞こえた大きな涙声は、社さんのものだった

(あ…)

『昨日から連絡もなしに帰ってこないってキョーコちゃんの下宿先のおかみさんからすごい心配した
電話が何度も入ってるって……れーーーーーーーーーーーーーーん????』


***


「…と、そんなわけで――――連絡も入れられないまま先輩のお宅に泊めて頂いてしまって、
ご心配をおかけして本当に申し訳ありませんでした」

言い訳としてはあまりにも苦しいような気はしたけれど、まさか本当の事を言うわけにもいかず、
結局私は昨晩仕事中に急な高熱で倒れ、様子を見にきた敦賀さんに助けられて
彼のマンションで介抱されていたことにした。
実際体調はすごく悪かったので、昨日の元気いっぱいの私を見ていた椹さんこそ
一瞬訝しそうな顔をしたものの、特に疑われる事は無く―――――
―――――敦賀さんはだるまやの大将やおかみさんをはじめ、
社さんや椹さんにまで頭を下げはしたものの―――――
無事、自分の部屋に帰ってくることができた。

ふとんのなかで、なじみの天井を見上げる。
敦賀さんのマンションとは違う、どこか素朴ないつもの眺め。

敦賀さんのマンションを出る時…足元のおぼつかない私を支えてくれようとした敦賀さんの頬を、
思わず思い切り叩いてしまった。触られるのがイヤで。
自分で自分がわからない。敦賀さんですら、そんな私をどうしていいかわからないようだった。
頬に触れてしまった手さえイヤだった。知らず、服で手をぬぐってしまい…。
あの瞬間の敦賀さんの表情が脳裏にこびりついて離れない。
傷つけた。傷つけてしまった。そんな気はなかったのに、好きなのに。

どうして? いたたまれなくて身もだえしそうだった。
心がふたつに引き裂かれてバラバラだった。

「…キョーコちゃん、ちょっといいかい…?」

廊下からおかみさんの気遣わしげな声が聞こえた。
はい…と返事をすると、心配顔のままドアをあけて入ってきて、枕もとに座り、額に手をあててくれる。

「熱は…もういいみたいだね…」

「……ごめんなさい、おかみさん」

うそついてごめんなさい、心配かけてごめんなさい、いろんな事をごめんなさい…。

「いいんだよ、 でも…」

すこし口篭もりながら、おかみさんはあやすように私の頭を撫でてくれた。
やさしい手の感触に泣きたくなる。

「…つらいことが―――――あったんじゃ、ないだろうね…?」

思わずぎくんと胸が痛む。
私はおかみさんをじっと見上げてしまった。

「……―――――」

「…聞いたけど、いままでも何度か、あの先輩さんのお宅にうかがってたんだってね…」

「――――――」

「そういう、お仕事のことは、正直よくわかんないんだけどね、キョーコちゃん、あんたまだこどもだって
いっても、見る人が見たらやっぱり女の子なんだからさ…――――あんまりそういうのは、どうかって思うんだよ…」

やさしいおかみさんの手のひら、本当に心配してくれる人のあたたかさ。
そんな言葉も、かつてのわたしだったら滅相も無いと否定しただろう。

「…―――や、だ… おかみさん……」

笑顔をつくる。できるだけ屈託なく見えるように祈りながら…
成功しただろうか?

「おかみさんもご存知でしょう? 敦賀さんは芸能界一いい男って言われるようなひとで、
そりゃもうモテモテなんですよ、わたしなんか……心配するようなことなんか何も―――――」

なにも………。

(………こわかった―――――……)

ひたいからしみるおかみさんの手のぬくもりが、私の心を揺らがせた。
恋を自覚した衝撃の影にかくされていた、もうひとつの思いが溢れ出す。
圧倒的な男性の力に対する恐怖。
無理やりに女であることを思い知らされた痛み、
男の人に、女として扱われたうらみ。
自分の体が女だということへの絶望的な嫌悪…。

(ああ…―――――)

体に汚泥がつまっているような不快感。
私は……――――わたし、は…―――――まだ……

(知りたくなんかなかった…―――のに……)

「…そうかい?ならいいんだけどねえ…」

(おかあさん―――――)

こわかった…こわかったの、いたくて、こわくて…―――――
望んで…いなかったばっかりじゃないのに、でも、それでも…

(知りたくなんか、なかったよう…―――――)

おかみさんに全部打ち明けて、なぐさめてほしかった。
こわかったねって言って、抱きしめてほしかった。
もう大丈夫だよって言って―――――安心させてほしかった。

でも、出来ない。
そんなことは出来ない。

「…でもね、キョーコちゃん……」

おかみさんが私をみつめて、泣き笑いのような表情を浮かべた。
記憶の中の冷たかった母よりもずっと母なる人の―――――。
わたしくらいの年齢の人間が母親扱いしてしまうには、おかみさんはずいぶん若い人だけど。

「…つらくて、くるしくて、もうどうしようもなくなったら―――――」

ふとんをひきあげ、ぽんぽんと撫でてくれる手。

「あたしたちのこと忘れたらだめだからね…」

ああ…わかっちゃってるんだ…―――――。
私は、ぐらぐらとめまいがしそうな不安を感じた。
表に出してはおとなしく、そっとうなづく。

…どのくらいの人に、誰たちに…?

(敦賀さん―――――)

どうしたらいいんだろう、もしもこれがみんなにわかってしまったら…。
あの人は無事でいられるだろうか。
あんなにお芝居を大事に生きているあの人が、もしもスキャンダルに巻き込まれることになったら…。

おかみさんが部屋を出て行く。
私はいまあらたに認識した現実を抱えあぐねて、思わず目をつぶった。

(敦賀さん………敦賀さん)

ごめんなさい―――――。
どうしたらいいのか、わからないよう……。



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