■発端05_1 
キョーコ
超災難


ラブミー部の仕事でLMEに出勤した。
ここのところ、オフをはさんだりして、随分久しぶりの気がする。
実際は養成所に通ってることもあって久しぶりというほどでもないのだけれど、
敦賀さん(…と、案外危険なのが目ざとい社さん)とはち合わせたりしないように、
忍者のように周囲をうかがい、必要最小限の人にしか接せず、
蝶のように舞い、蜂のように刺していたので
あまり LMEにいた、という実感が持てなかった。

昨日椹さんから電話で仕事の依頼を受けた際、何気なく確認したところに拠ると、
今日まで敦賀さんはドラマの地方ロケに出ているらしい、
つまり、隠密行動をとらなくても、会う可能性はない! ブラボー!
(もともと敦賀さんは忙しい人だから、工作しなくても会わない時は全然会わないんだけど)
(…ちょっと自分でもどうかと思うくらいに自意識過剰だけど)
こっそり恥じながらも驚くほどの開放感に、思わずスキップが出たりして、周りから不審の目で見られた。

くるくると雑用をこなしていると、いつかの出来事が遠くなったり近くなったりする。

軽井沢ロケ中の敦賀さんとの一件、
その後ショータローに云われた事、
あのときの自分の気持ち、いまの自分の気持ち。
なにもかもがぐちゃぐちゃしてて、頭が爆発してしまいそうだった事。
いまだって何がどう状況が変わったわけじゃないけど、
ただ、云えるのは………

「男ってのは結局最悪な生き物ってことよ」 

ショータローは無論のこと、ビーグルの変態も、……敦賀さんも。

(……敦賀さん…)

結局思いがそこへ帰っていく。
くちづけと、強い力。あのこわいような目が、正直本当にショータローの言うような
意味なのかといぶかしむ自分もいる。
でも、そうでないことを期待しているのだとしたら、私は…―――――。
そして、それがほんとに期待だったとしたら、それが砕かれた時に私は…―――。

案外、会ってしまえば 「やぁ、最上さん、元気?今日はいいお天気だね」 って、
爽やか紳士スマイルで何事もなかったかのように接してもらえるのでは…と思ったりもする。

でも…。

あれから一度だけ、仕事を一緒にした時の――――あの雰囲気。
入りの時間のズレもあって、お互いに声をかけることもできないままだった。
セット上から、こっそり敦賀さんを盗み見ていた私と、
それに気付いたような敦賀さんの視線が一瞬からまり合って…。
…………焼け焦げるんじゃないかと思うくらいのキツイ眼は、あのときのままだった…。
こわかった。

もう二度と、いままでみたいには戻れないんじゃないかと、そんな気がした。
胸が痛くて、こんな思いをするくらいなら、もう姿も見たくないと思った。

私を本当に悩ませているのは、多分、私自身の気持ちが自分で掴めないことなんだろう。

(だって仕方ないじゃない、こんなのっていままで考えた事なんかない類の出来事なんだもの…!)

いまいましくなって、鼻息も荒くシャドウボクシングで雑念をふりはらう。
とりあえず、男についてはいまのところもう誰も信じない。

***

「おつかれさまですー」

ガラガラと台車をひいて、タレント部に戻ると、椹さんがにこやかに出迎えてくれた。

「お疲れ様、遅くなってしまってごめんよ、お陰で助かった」

スタンプ帳に100点のスタンプをもらえる。
椹さんは若干私に甘め(いつかの恐怖がそうさせるらしい)だけど、やっぱり嬉しい。

「…あれ?このダンボールはなんですか?」

椹さんの机の横に詰まれたふたつのダンボール。見ると、DVDがぎっしり詰められていた。

「ああ、これは資料室の方にしまう分だよ、あとは適当にこっちでやっとくから」

「駄目です、そんなのついでにやっちゃいますから!!任せて下さい!!」

100点ももらったのに、やりのこしがあるなんてとんでもない。
妙な使命感に燃えた私は、でもけっこう遅くなっちゃったしなぁー、としぶる椹さんを説き伏せて、
持ってきた台車にダンボールを乗せ、地下のモニタールームまで運んだ。

スタッフの貸し出し用IDカードを入り口のセンサーにかざすと、自動ドアが開いた。
中は、手前が背の低いキャビネットで、奥がDVDなどを仕舞うラックになっている。
ダンボールからDVDを取り出し、とりあえず手前から索引順に、
歯抜けになったラックの所定位置に入れていくことにした。

ダンボールふたつ、たいしたことないと思っていたけれど、行きつ戻りつするうちに
結構手間取っていることに気付く。
(どうしてこんなにたまるまえに片付けないのかしら?)
ぶつぶつ言いながらも熱中していると、入り口のほうでドアがあく音がした。

(椹さんかな…?)

もしや待たせていたかと気付いて、あわててラックの間から頭を出してうかがうと………
そこには本来ここにいないはずの敦賀さんが立っていた。

( …な――――――――――――――――――――――――――――――――)

思わず血の気が引く。
体を引くまえに、ばちっと目が合う。

(ひーーーーーーー!!!!)

「………やぁ」

心底びびりまくりの私を知ってか知らずか、敦賀さんは極上の笑顔を浮かべると、
ちょっと周囲を確かめるようにして…さりげなく入り口のパネルを操作した。
ピ、という電子音と、かすかなロック音。彼自身のカードをかざす仕草。

と……
閉じ込められた…? ま、まさか…

「…随分久しぶりだね……元気だった?」

ゆっくりとした動作で一歩一歩近づいてくるのに、泣きそうになる。
こここ、こわぁい。

「もう遅いからそのくらいでキリをつけて帰るようにって椹さんが言ってたよ」

へたりこんでいる私の前に立ち塞がる大魔神。

「………つ、敦賀さん、きょ、今日は…ロケの……」

震える声で搾り出すようにやっと言うと、
彼の目がすっと眇められた。

「ああ…」

無表情な美貌。
すごく久しぶりに見る姿、話す声に…胸がズキズキと痛みはじめた。

「…そう言っとけば、君も気楽に仕事ができるんじゃないかと思ってね」

(うそーーーーーーーーーーーーーー!?!?)

だって、椹さんがっ…

「正確には昨日まで出かけていたから嘘じゃない。椹さんは俳優部門じゃないからそういうタイトな部分まではさすがに把握しないもんだよ…」

「………」

「…俺がいない事を確認して、安心して仕事してたんだ?」

冷たい手で心臓を鷲掴みにされたような気がした。
上から敦賀さんの痛いくらいの視線がふってくるのに、顔が上げられない。
正座して、膝に置いた手を握り締めた。

「………椹さんにね…」

ふと、話がそれる。なんとなく、ほっとし…―――――――――――――

「きみを送ってやってくれって言われて、了解してきたよ。」

(椹さん…なんて余計な事を!!!) 涙が出るような気がした。

「で、『お疲れ様でした』 って言ってきた」

含みのある言葉に、思わず目を上げると、敦賀さんは無表情が昂じて作り物みたいな表情の中、
目だけでものすごく怒っていた。
すごく傷ついている……ような、なぜ…?
目が逸らせない。

「…朝まで、ふたりきりだ―――――――――――」

怒ったまま、ゆっくりと、たちのよくない笑みが浮かんでくる。
悪魔というものが、この世に存在するのなら、この人は間違いなくそれのうちだという気がした。

「さぁ…… なにをしよう?」

(――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!)

『地味で色気がねえうえに肉便器としてだけは利用可』 

ショータローの声が聞こえた。


「つ、敦賀、さんっ…」

思わず叫んだ。

「…なに?」

彼はラックを掴んでいた手を放して、ゆっくり腕を組んだ。

「わっ…わたし、今日、このあと、モー子…琴南さんと約束しているので、早く行かないと…なんですっ」

両手をもみしぼって、適当な事を言ってしまう。どうしてこんなことしか。
敦賀さんの真意は知れないけれど、こんな状況で何かするのであれば、
なじって、罵倒して、怨キョとばして、ボコボコにして逃げればいい…そうだ、こんな男。

敦賀さんがすぅっと目を細めた。 こわい、こわいよーーーーーーー。

「それは大変だっ」

ふいににっこり笑って、あっけなく彼は言った。
思わずほっとして、一瞬さっきまでのは、たちの悪い冗談か…と安心しかけると

「琴南さんには、明日にでも謝るといいよ」

怒りが深まった―――――――――――気がした。

「その約束が本当なら………だけど?」

ちらりと壁の時計を見る仕草が皮肉っぽい。午後10時を過ぎている。
確かにこれから友達と会うような時間ではなかった。

敦賀さんは大きく一歩を踏み出して、私の腕を掴んだ。血が逆流する。

「イヤッ…」

ふりはらって、後手にあとじさる。
黙ったまま、さらに距離を詰められて、あわてて立ち上がる。体をかえして、思わずドアに走りよった。
カードをかざしても、ドアは開かない。
カードとパネルがふれあう、気の抜けた、カシカシという音が響くだけだった、
何度やっても無駄だとわかっても、せずにはいられなかった。

「………どうして―――――――――――――っ」

うしろは見られない、こわくて。体が勝手に震える、胸が痛くて。

「…どうしてこんなことをするんですか………」

小さく問いかけると、彼はこともなげに言った。簡単に、軽く。

「愛してるから」

(うそだっ)

心臓が破れてしまいそうだった。

『男は、マジボレした女のこと、襲ったりなんかぜってー出来ねえってこと覚えとけよ』

ショータローの言葉をぜんぶ信じるわけじゃない、そんなわけじゃないけど、
敦賀さんの言葉を信じてしまうのは、足元が一気に崩れるくらいに怖い事だった。
愛してると言われた瞬間の、胸の痛みが怖かった。
私が、敦賀さんをこうさせるような力を、それも愛ゆえになんて、そんな事はありえない気がした。
絶対傷つく。この言葉を信じたら駄目だ。また傷つく。
そしてきっと今度傷ついたら、今度こそ私は…生きていかれない。

「うそですっ…そんなの!」

涙が出そうだった。

「…嘘…?」

「うそです、ひどいです、こんなのイヤです…もうイヤですっ!」

この状況を頭から追い出してしまいたくて、ぶんぶん頭を振った。

「……………嘘、か……」

ふいに、敦賀さんの声が暗く陰鬱によどんだ。
はっと振り返ると、すぐ後ろにいて、キツイ視線が上からふってくる。
何度見てもビックリするくらいに整った、美しい顔がまっすぐに私を見据えている。
女性的なところなんかどこにもないのに、どうしてこの人はどこか、こんなに、艶かしいのだろう…。

「――――――…俺の気持ちなんか、何も知らないくせに…」

こんなに胸が乱れる。鼓動が激しくなる。
のまれた様にすくんで、彼を見上げていると、彼はふっと視線をやわらげた。

「そんなに怖がらないで」

大きな手が、頬に触れる。両手で包み込むように、仰向かされた。

「……やさしくするから………」

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