無限抱擁07■キョーコ
物思う


社長からほとぼりが冷めるまで…と休養を命じられて、既にふたつきは経とうとしている。
都会の喧騒をはなれて、大変な事になってしまった狼狽に身を潜めるように過ごした数週間ののちは、
すっかりここの生活にも慣れてしまった。

「そったらー、今日はこんくらいにすっかなぁー、キョーコちゃん ありがとねえー」

「はぁい」

社長ゆかりの山荘のふもとの村に住む、一人暮らしの井上さん。
細々とお手入れをされているお庭の畑をふとしたきっかけで手伝いをはじめるようになってからも
既にひとつきは経っていた。

じゃがいも、きゅうり、トマト、なす。

秋が近いので、夏の野菜は殆どがおわりかけだけれど、山あいということもあってまだ毎日いくつかは収穫できる。
昼をまわるとさすがに気温が上昇するので、井上さんの体にもきついらしく、毎日朝まだ涼しいうちだけの畑いじり。
東京に暮らす息子さんと、ご近所と、自分で食べるだけだという小さな畑。
野菜の青い匂いと土の匂いに、情景としてはかなり違うもののふるさとと同じ懐かしい雰囲気を感じて
私はだいぶ元気でいた。

(軽井沢も…)

少しこんな感じだったな、と思って、連鎖的に思いがあの人に結びついた。
元気にしてるだろうか?ちゃんとごはんは食べているだろうか?お仕事は…―――――――――。

言いそびれてしまった言葉。
伝えられなかった思い。

(だからね、キョーコちゃん、蓮は今、キョーコちゃんに会えないんだ…)

二人で抱き合っていた写真を撮られて、狼狽のまま別れて、
何日かあとに社長から呼び出されて、ここに来る事になって。
その間敦賀さんの気配が一切途絶えたわけを、出発の時、見送りに来てくれた社さんから聞いた。

(わたしのために…)

わたしが解雇されないために。

考えてみれば、事務所の有能な先輩を惑わして、スキャンダルに巻き込んでしまった、
デビューしたんだかしてないんだかわからないような新人に、皆ひどくやさしいと思う。
…それを言うなら、ショータローに捨てられた後路頭に迷いかけていた私に、
住むところとぬくもりを与えてくれた、だるまやのご夫婦にしても。

モー子さん、マリアちゃん…そして、百瀬さん…。
何も言えないまま、姿を消してしまった。

(私は、一体何をみてきたのかなぁ…)

愛されていなかったなんて…。
だれも愛せないなんて。

ふと脳裏によぎる、この世で一番大事だった生意気な美貌。
俺様な力強さ。去っていった後姿。

(ショータロー…)

なんのてらいもなく、思い出すことができた自分に少しだけ驚いている。
今は少し、彼が去っていった理由もわかるような気がして。

「キョーコちゃん、じゃあこれもってっておくれよね」

とれたてのトマト。今日は山荘管理人の佐藤さんご夫婦に、トマトの冷製パスタでもふるまおう。

「ありがとうございますっ」

―――――今も少しからだに残る震えを自分にごめんなさいして、私は考える。
あの人のことを考える。距離をおいた今だから、考えられる事を考える。
私の中の宝箱に眠った、人を愛したい思い。
そこから目を背けて、かたくなに閉じこもろうとしていた私を、あの人の手が引きずり出した。
俺を見ろという命令、俺だけを見ろという強い意志。
哀願するような悲しい顔、傍にいて欲しいという切ない願い。

彼は、私をたしかに愛してくれている。

こたえたい。

―――――地に足をつけて、天を仰いで、この場に立つ私はいま、こころからそう思う。

私に今、出来る事…――――――。
なにが私にできるだろう…?

( ラブ・ミー )

人に愛して欲しいと乞うこころ。


( あ…――――――――    )


そうか…。

社長がわたしにくれたもの。
やっと少し、それの意味を本当に掴めそうな気がした。


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