無限抱擁08■松、
来る。


(なんっつー田舎だよ…)

うっそうと茂るジャングル(←本当は単に杉の木畑なだけです・注)に、思わず舌打ちしたくなる。
都会派の俺様には耐え難い環境だ。
タクシーを降りてから何分歩いたろう。
あの運転手 「こっからあがってったらそん住所ばすぐだがねー」 とかなんとかいい加減な事ぬかしやがって。
しかしさっきから歩いてていい加減喉が渇いたのに、コンビニがねー、自販機もねー。
家だって、さっき通り過ぎてからあらたな家屋にでくわさねーぞ。
いったい隣まで何キロあんだよ。ここは本当に人の住む地か。

(お……)

ぶつぶつ言いながら抜けたところには、ぽつぽつと集落があった。
やっと生活臭みたいなもんを感じて思わずほっとする。

(と…とにかくどっかで、水…)

うろうろすると、人の声が聞こえてきた。
思わずそちらに足をすすめる。

「…じゃあゲンさん、鶏糞は納屋にしまっていいんですよね!」

――――――――――――んあ?

思わず生垣をつかんで覗き込む。なんだこの聞き覚えのある声は。
満面の笑みを浮かべてふりむいたソイツに、俺の顎がガクンと落ちた。

布つき麦藁帽子に首から提げた汗拭きタオル、長袖カバーと、
ジャージに長靴でキメた農耕女は…まごうことなく

「キョー……」

「ショータロー…」

あっけにとられて互いを見つめあう。
先に限界が来たのは俺だった。あまりにも似合っていたので思わずブフォッっと噴出してしまう。

「ちょっとなによ!ショータロー。なんでアンタがこんなとこにいるのよっ」

頬を赤くして、ぷうっとふくれるキョーコに、気負ってきた全部が崩れるような気がした。
かわってねー。キョーコはキョーコのまんまじゃねーか。
むしろ、今まで俺と会うときは必ずその身にまとっていたむきだしの敵意さえすっかりとぬぐいさられていた。
全然大丈夫じゃねーか…それって。

俺の出る幕はねーのかよ…。
…ちょっとだけ、しんみりとしたのはナイショだ。

「ショータロー、どうしてここがわかったの?」

キョーコが近頃身の回りの手伝いをしているという家の一軒である近藤ゲンさん家の縁側を借りて、
ふたりでゲンさん心づくしのスイカにかぶりつく。
喉が渇いていた俺にはサイコーにうまかった。

「……野郎に聞いた」

一瞬迷ったが正直に話す。
ぎくり、とキョーコの体がこわばった。

「……ショータロー…」

「だいたいのこた把握してる。で、心配で来た」

ぶっきらぼうに言うと、キョーコは軽く頬を染めてうつむいた。
ふわっと、いままで感じたことのないようなナヨい色気が漂った。

「…心配、かけたんだ……」

言いながら、ふと、気遣わしげに眉がよせられ…キョーコははっと俺をふりあおいだ。

「…まさかあんた、敦賀さんに……」

さあっと血の気が引く顔に、意地悪な気分が湧いてくる。

「そりゃーもービーグルん時なんかメじゃねーくれーボコってやったさ」

「!!!!!!」

「あのお綺麗な顔面はカンベンしといてやったけどな、俺って気ぃ使いーだからよ」

「なんでアンタってそんな乱暴なのっ…」

わっと殴りかかってくるのを両手で受け止める。

「…オマエを傷つける奴は俺の敵だからな。ぶっ潰すしかねーだろ」

引き寄せて、目を覗き込む。
きょとんと見開いた目に、困惑と…戸惑いが浮かぶのを見て、俺は小さくため息をついた。

「まぁ…心配ねー、ありゃ、奴が俺にヤラせたってのが正解だよ」

だからこそかなりいまいましかったわけだが。

キョーコは、ふっと肩の力を抜いた。
ふと、気付いたように俺が掴む両手に目を落とす。
そっと身をひこうとするのに、わざと掴んだまま離さずにいると…。

「ショータロー…」

少し咎めるように名前を呼ばれた。
聞こえないふりをする。
キョーコは、かわいらしく小首をかしげて、そっと言った。

(はなして…――――――――――――)

これがもう、アイツのものか…。
そう思ったときに、やっと少しだけ、奴の黒い焦燥が理解できた気がした。

「…なんでだよ…」

思わずムカついた。

「おまえ、奴にんな、ひでーことされてなんでそんなふうなんだよ。
なんでそんな、許しちゃってるみたいな、なんで…」

どいつもこいつも。

「ショータロー…」

ふと、キョーコが真剣な顔になって、俺に向き直った。

「……… 私……ね……」

今まで見たことのない表情としぐさ。
ひどく大人びた、女くさい…真剣な。

「―――――――――――敦賀さんのことが………好きなの」

( ああ…遂に…―――――――――――――)

俺はハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。

「おま…――――自分、何言って…――――――――」

「そりゃ…そういうことになった時は…いっそ死んじゃいたいくらい辛かったけど…でも」

ちらりと、いたずらそうに俺を見る。

「…あの人だったら、『肉便器』ってやつでもいいかなぁって…」

「ばっ……」

「嘘だけど」

…どうやら俺はからかわれているらしかった。

「……ほんとうに必要とされているかどうかくらいは、私にだってわかるんだよ、ショーちゃん…」

真摯なひとみ。長い睫。俺から去っていこうとしている、キョーコ。

「そしたら、ショーちゃんのことも少しわかるようになった」

風が、ふきぬけていった。
さらりと髪がなびく。風がキョーコの頬を撫でていく。
知らず、俺は手を離していた。

「…ごめんね、私ずっとショータローのこと恨んでた。憎んでた。絶対復讐してやるんだって、…でも」

言うな、―――――――――――――言わないでくれ。

「重かったよね、あの頃の私。自分で自分のこと背負えなくて、自分のこと大事にすることも、守る事もできないで、
ただショーちゃんを愛することで、それを贖ってた。
自分として、最上キョーコとして、一人の人間になるなんてこと思いもしないで、
全部ショーちゃんに背負わせて、ショーちゃんを支える事でいっぱいにして、
自分として生きることから逃げてた…」

「だから…そんな重いもの、捨てられて当然だったと思う。
それで、本当に、今は良かったと思ってる。そのことに気付けたから…」

「やめろ…」

言い知れない喪失感、キョーコが行く。俺から。今度は俺を捨てて。

「ちげーよ、俺がガキだったんだ、おまえなんも悪い事してねー。
いつだって俺のことに一生懸命だったじゃねーか。俺がほんとガキで、お前のこと…」

涙が出てきそうだった。

「―――――――――――――――…」 ふいに、くすくすという笑い声。

「……なんだよ…」 耳に心地良い響き。

「『北風と太陽』ってこういうことかなって思ったらなんかおかしくなっちゃった」

「なんだそれ」

――――――――――メルヘンな思考は健在だ。
キョーコはキョーコで…多分この根っこはずっと変わらないんだろう。


「これからどうするつもりなんだオマエ」

言うと、少し困ったように小首をかしげた。

「…どうしたらいいかなぁーって考えてたとこ…」

「ただ、いまのままだと、おんなじかなぁって気がするから…。
私が私にならないまんま、空洞に敦賀さんがはまるようなことだけは、したくないから―――――――――」

「だから…―――――――――」

風が吹いて、ざぁっと梢をゆらした。
キョーコはにこっと笑うと、手元の手提げを引き寄せて、中からなにか、
手帳のようなものとスタンプみたいなものを取り出した。

「仲直りの記念に、ハンコくれない?」

?????
ハンコォ…?なんの…――――と、おもっくそ胡乱そうに言うと、
キョーコはおかしそうに『ラブミー部』とやらの説明をはじめた。

「そんなわけで目下のところここの集落のみなさんと、
管理人さんのお役に立てることをしてコツコツ溜めてるわけなんだけど…」

「……ンなっ…」

思わず開いた口が広がる。
お、俺――――――…………LMEじゃなくて良かった―――――――…。
あの意味不明なおっさん(社長)の姿が脳裏をよぎった。 おっさん、こえーよ…。

「………ダメ…?」

上目遣いに覗き込んでこられるのに、胸がきゅーんとする。
うは、この甘ずっぺー気持ちやべー。
失恋確定でこれはないって、ほんと。

ちょっと赤くなった頬を誤魔化すように咳払いをし、黙って乱暴に手を差し出すと、
キョーコは満面の笑みを浮かべた。もうすんません、ごめんなさい、カンベンしてください。

「 ラブ・ミー 」

(私を愛して――――――――――――――――)

(うわっっっっ!!!!!!)

はっ、はずかしい…キョーコでなく、俺が。

無邪気にスタンプセットをおれの手の中に渡すその仕草は、
かつて「地味で色気のねー女」と評した俺への復讐に違いない。
しかし、それにしても、その可愛らしさときたら…。

まさに100点以外のなにものでもなかった。


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