無限抱擁04■キョーコ
視点


今日もまた、携帯に敦賀さんからの留守電メッセージが入っていた。

気遣いながら、体調について訊ねる声。
今また地方のロケに出ているけれど、帰ったら一度会いたいと。

(…―――――よかったら…今夜また……電話を―――――かけるから―――――)

『 声を聞かせてくれないか 』 

つぶやきは、戸惑うように途切れ、すこしの沈黙の後、

(―――――いや、いいんだ…なんでもない、おやすみ)

というどこか怯えたような声音で閉められた。
ひどい別れ方をした後に、一度も会えないままでいることが心苦しくもあるけれど、
会わないでいる事にどこか安堵を感じている自分もいて…。
私は今日もまた、返事をかえせないままだった。
後ろめたくて、自分が嫌で、たまらない。

これで何日こうしてあの人からのメッセージを無視していることになっているだろう。
いっそ、あきれて、礼儀知らずだと怒って、もう二度と連絡なんかくれなければいい。

(いい…のかな…―――――わたしは、それで?)

自分の気持ちがわからない。



久しぶりに一日を学校ですごした。
これから、養成所に行きレッスンを受ける。
未緒のクランクアップも間近、それが終わったら…いちど、京都に帰ろうかな…とふと思う。
お休みをもらって。コーンの森に。
流石に…ショータローの実家には顔は出せないけれど。

そんなことをつらつらと考えながら校舎をあとにすると、校門のあたりが微妙に華やいでいた。
元々この学校は芸能クラスのひとたちの事務所からの送り迎えで駐車場が完備されていて広い。
珍しい事もあるものだと思いながらもさほど意識することなく学園の敷地から出ると
目の前に、見慣れた車が停まっていた。

心臓が口から飛び出しそうになった。

ゆっくりとドアが開いて、運転席から敦賀さんが降りてくる。
背後から、女の子の黄色い声が聞こえた。

「……… やぁ」

前に立って、敦賀さんは微笑んだ。
傍目には一部の隙も無い笑顔なのに、それは 似非紳士でも、神々スマイルでもない、
はじめて見るような痛々しさを秘めていた。

知らず、ひざが震えてくるのがわかる。

「丁度会えて良かった。事務所まで行くだろう? 送るよ… 乗って」

周囲からの強い視線が痛い。こんなところで、何も…。
うつむいたまま、かすかにうなづくと、敦賀さんはほっとしたように吐息をついて、
私の体に触れないように、そっと車に誘導した。

助手席のドアを空けてもらって…でも、一瞬乗り込むのをためらうと、
敦賀さんはそれに気づいて ああ、と言った。

「…後ろの方が…いいかな……―――――」

胸が痛んで、ちらりと彼をふりあおぐ。
彼は、私から目をそらして、小首をかしげた。

(ごめんね、気がつかなくて…)

「前で…いいです…―――――」

気が付くと、そうつぶやいていた。
なんてえらそうな物言いだろう…と自己嫌悪が沸いてきた。



車中の沈黙は、自分から断ち切る事になった。

「…どうして…こんなことをするんですか…」

私は、ひざに置いた手でスカートをもみ絞りながら声を絞り出した。

「…え?」

前を向いたまま、敦賀さんが問い掛ける。

「…敦賀さんが学校とか……迎えになんて、もし、もしも、変なうわさになったりしたら」

「………」

自意識過剰だってわかってる、でも、心配で、不安で。
おかみさんとか、他にも誰か、もしかしたらって思うと。

「……君が逃げないシチュエーションが他に思い浮かばなかったんだ」

自嘲するような声に、そっと彼を盗み見る。

「君は気を使う子だから、ああいう場で俺をほっといて逃げることはしないだろう?
でも、二人だけだったら…どうかな…?」

「………」

返す言葉が無いというのはこういう事を言うんだ、と思った。

「…会いたかったんだ」

吐き出すような敦賀さんの低い声に、胸が引き絞られるのと、全身が緊張するのとが同時にやってくる。
恋しさと、嫌悪なんて、こんな全然違うものが、わたしのなかでこんなにも混在する不思議に、
わぁわぁ喚いてその辺をごろごろ転がってしまいたくなる。
私は敦賀さんにひどいことをしている。はじめてそれに本当に気がついた。
好きだという相手に、わたしみたいな事をされたら、私はどう思うだろう。
私が敦賀さんに同じようにされたら、私は。
とても、こんなふうに、敦賀さんみたいには出来ない。
あの夜の負い目とか、あるのかもしれない。でも。

「……敦賀さん…ごめんなさい、あの、私…っ」

ぜんぶぜんぶごめんなさい、私だって会いたかったんです。
毎日のメッセージだって嬉しかったんです。
でも、でも。

舌の根が凍りつく。敦賀さんは、ただ前を見ている。
無理しなくていい…そう言われてる気がした。

ゲートで守衛さんに会釈をして、IDカードを通し、バーをくぐって事務所の駐車場に乗り入れる。

「着いたよ」

車から降り、ドアをあけて、敦賀さんはやさしく言った。
見上げると…視線が触れ合う。
せめてこの目は、そらしてはいけないと思う。

「…ありがとう…ございました――――」

沈黙がおちる。
敦賀さんはためらうように言った。


「…また……―――――会ってくれる、かい……」


(力を下さい。神様。この瞬間、少しでいいから)


「はい…―――――」

私は、ゆっくりと、でもはっきりと、うなずいた。

“できることからコツコツと…―――――”



**************


今日の撮影が、一足早い私の未緒のクランクアップだった。
花束をもらい、監督をはじめとするキャストの皆さんやスタッフの皆さん、
関係者ご一同に挨拶まわりをして控え室に戻る。
今の自分でやれることはぜんぶやった。ひっそりとした充実感が胸を熱くした。

「入ってイイデスか…?」

敦賀さんがコツコツ、と控え室の開いたドアを叩く。

「はい…っ」

あわててごしごしと顔をこする。
敦賀さんはそんな私を見て、ふっと笑った。

「ほんとうに、お疲れ様―――――」

車で送迎の一件以来、敦賀さんと私の間には、不思議な紳士協定が保たれていた。
あの夜の事はなかったことに…なったわけではないけれど、どちらもそれに触れず、過ごしている。
敦賀さんはわたしにさわらないことで、
わたしは敦賀さんにおびえないことで、
お互いに相手に敵意のないことを知らせている野生動物みたいに。

でも今の状態は、どこかつくりものめいていた。
まるでふたりして、あの夜以前の自分たちを演じているかのような気がすることもある。
それはどこか薄氷の上を歩いているような心もとなさがあった。

ひとつだけ、以前と明らかに違うのは、こうして、ふたりで過ごす時間を長く持つようになったことかもしれない。
敦賀さんは、以前にもまして誰はばかることなく私の傍に来た。
それでも、わたしたちの間にこの距離感があるせいか、いまのところ誰かに色恋へと結び付けられたことはない。

でも。

私は知ってる。時々、私を見る敦賀さんの目がいつかの夜と同じ色をたたえるのを。
私はそこから目をそらして、見なかったふりをして、こわばった体を悟られないように冗談をとばしたりする。
敦賀さんは私の体のこわばりに気づかなかったふりをして、瞬きを繰り返し、にっこりと微笑む。


元通り。なにも、おかしなことは起こっていない。


「打ち上げは後日ということにしたんだって?」

「はい、なんか自分だけのって気が引けて。ドラマのクランクアップの打ち上げにまぜてもらえばいいかなぁっ…て」

なんだか、お酒とかも飲めるようなところみたいだし、
興味はあるけれど今日はちょっと、最後の未緒だったこの気持ちをひとりでかみ締めていたかったこともある。

「…そうか…、まぁ、あの人たちは口実さえあれば毎日だって飲みに行くんだから、
君がひっぱりだされなくて個人的には…」

こまったようにクス、と笑い、
でも、この世界そういう仕事後のつきあいもそのうちには大事になっていくから…そんな事をもごもごと口にした。

「…敦賀さんも、飲みに行ったりするんですか?」

…てっきり、家と仕事場の往復だけかと思ったので、少し驚いた。
彼の目が、からかうように見開かれる。

「行くよ?…それほど頻繁ではないけど、断りづらい向きとかもあるからね」

………あれ?

(私…………)

なんでいま……… もやっと?

(???)

「じゃあ、今日は帰るんだね、俺も今日はこれであがるから、よかったら送っていくよ」

「あ…はい―――――ありがとうございます」

自分の心をかすめた感情の尻尾を捕まえそびれて、私はどこか上の空で返事をした。

「社さんも一緒だから。着替えて、駐車場で落ち合おう」


***


駐車場に降りたところで敦賀さんを待っていると、賑やかな人の気配が近づいてきた。
大きな声は高木さんだ。

「いかんなぁー、敦賀君付き合い悪いぞ君。里奈も待っとって、行くたびに君を連れて行かなかったことを詰られるんだ、
こっちの身にもなってもらわんと」

敦賀さんの礼儀正しい笑い声。ふたりとはまだ距離があるので彼がなんと答えているかまでは聞こえない。

「関西女は情が深いだろ?…君には重いか。いかんなぁー、いい若いもんが。
じゃあまた別の店にいこう、次こそ逃げるなよ」

ふわっと、さっきの感情の尻尾が、今度はもっと具体的な形で心をよぎった。
それは、あの軽井沢ロケの時に、敦賀さんに抱きしめられながら他の女性の影を感じた時のものと似ていた。
胸がズキリとした。

高木さんの車のドアが閉まる音とエンジン音。
チャリチャリとキーの音をさせて何事かを誰かと喋りながら敦賀さんがこちらに来る音。

私は知っている。あの時よりももっと深く知っている。
敦賀さんの男性としての仕草や、表情を。
でも――――― それを……知っているのはわたしだけじゃない―――――。

「最上さん? ああ、ごめん、待たせたね…―――――」

敦賀さんの声。うしろには社さん。
私の表情を見た瞬間、ふたりがなんとなくぎょっとした気配が伝わってきた。
私…?

「………――――――」

思わずうつむく。

「ど…―――――どうした?」

社さんと顔を見合わせて、やや躊躇いながら下から私を覗き込んでくる美貌。
頬が熱くなって、私は唇をかみ締めた。

敦賀さんの顔に大きなクエスチョンマークが浮かぶ。
自分だって自分の感情がよくわからない。

「…あー…―――――っと…」

社さんが私と敦賀さんを見比べて、ぽんと手を打った。

「もしかしてさっきの聞こえてた?高木さん、声大きいから」

ギク、とすると、ぱぁっと社さんの顔がほころんだ。

「そっ…そんなんじゃ…―――――」

あわてて顔をあげてかぶりをふる。思わずあわあわと唇がわななく。
こんな赤面したら否定してる事にならない。
社さん、あなたは絶対敦賀さんとは別の種族の悪魔です―――――。

「…だぁいじょうぶだよ、キョーコちゃん!……コイツ確かにお店の女の子にもモテモテだし…―――」

すうっと、社さんの雰囲気が変わった。どことなく。
言葉に…ビミョウな含みがある…と思うのは、私の気のせい…だろうか?

「そりゃもう他の男が嫉妬で帰っちゃうくらい見てるこちらが気の毒になる濃厚なサービス受けたりもするけど」

ズキズキッっと、心臓が音を立てる。
いっ…いたい…―――――。

「……お持ち帰りとか、そういうの今まで一切ないから!!」

ズキズキズキズキッ。
いいい、いたたたたいいっ…っ

「社さん…」

敦賀さんが困ったような吐息をついた。
ふたりで、ぐっとうつむく私の頭ごしになにか見詰め合っているような気配。
微妙な沈黙がおちる。

「とりあえず…こんなところではなんなので……乗りませんか?」

敦賀さんが車のドアをあけた。

「…あ…っと、たいへんだ、俺まだ上に仕事が残ってた、悪い、蓮、先に帰っててくれないか」

ええっ…?とあわてて顔を上げると、社さんが酷く真剣な目で私を見ていた。

「…いいかな?キョーコちゃん?」

包み込むような、心の奥を見透かすような、社さんの切れ長の目。
のまれるように、私は思わず、小さく頷いてしまった。

「……じゃあ、蓮、そういうことで―――――頼んだよ」

しばしのアイコンタクト。やや牽制するような、強い目の社さんと、
戸惑いながらもしっかりそれを受け止める敦賀さん。
ふっと二人の間に大人の男性を感じて、私はまた戸惑った。

社さんが地上へのエレベータに乗り込んで…ふたりになった。

「…とりあえず、乗って」

敦賀さんの勧めるままに車に乗り込んだ。
静かに発進する。
駐車場を出て、大きな道路に合流するまで、二人とも無言だった。
ふと、体から力を抜いてシートにもたれる。

「………それで…どうしたの?」

感情を抑えた敦賀さんに声をかけられた。

「……ごめんなさい…―――――聞かないで下さい…」

手で顔をおおってしまった。
色んな感情があちこちでわめいていて、混乱している。

「嫌だ、聞きたい」

強い声。押さえても押さえてもあふれ出てくるような。

「…………でないと、社さんが正解だと思い込むよ」

かぁっとまた顔が赤くなった。
自分がまるで赤しか発光できない、壊れた信号機みたいだ、と思った。

「…そうなの?」

敦賀さんの声ににじむ、独特の…

「せ…せいかく、には……―――――」

私は、私は何を、何を言おうとして…?

「お店の女の子とか…それは。でも……あの…軽井沢のときに思ったんです け…ど」

「………」

「ああいうふうに…敦賀さんが…触れた人がいるんだって―――――そう思ったらなんだか…かなしくなって…
―――――あの時は泣いてしまったんですけど…さっきも…女の子の話で急に―――――」

「最上さん―――――」

ふいに遮られた。

「君、自分の言ってることわかってる?」

敦賀さんの方を見ると、彼はいつかみたいに無表情で前を見ていた。

「……それじゃまるで君が俺を好きだといっているように聞こえるんだけど」

胸がぎゅっとする。

「わ…わたし…―――――」

はっと気がつくと、いつかの夜が蘇った。
薄闇の中で行った行為、生々しい体験と―――――恐怖と、快感が。

血の気がひいて、眩暈がした。
よく考えれば久しぶりの…発作だった。
上手に距離をとって、ふれないようにしていたので、随分忘れていた。
敦賀さんへの嫌悪感、性的なものに対する拒否感。男性への恐怖、
ひとつ思い出すと全てが連鎖的に蘇ってきて、私の体はガタガタふるえはじめた。

敦賀さんは横目で、私の変化を見……唇をひきむすんだ。
どこかあきらめたような、悲しい翳り。


「ひどい娘だ…―――――」


敦賀さんがぽつりと言った。
自嘲しているようにも、怒っているようにも、悲しんでいるようにも…聞こえる声で。

しばらく沈黙が落ちた。
私は襲ってきた発作をなだめようと、自分の肩を抱いた。
申し訳ない気持ち…こんなにも、よくしてくれている人に、私は…酷い事をしている。

「…ごめん、少し…―――――車を停めてもいい…?」

高速を降りたところで、敦賀さんがつぶやいた。
いたたまれなくて早くこの場から逃げ出してしまいたい気持ちと、
こんな中途半端な感情と状況に後ろ髪をひかれる思いとがないまぜになっていた私は、
小さくはい、と返事をした。

路肩に寄せられた車が静かに停車する。
沈黙の間にラジオが賑やかな音をひびかせる。

「…飲み物を……買ってくるよ―――」

エンジンをかけっぱなしに、敦賀さんがドアをあけて大きな体ごと外に出て行こうとする。
その声音に、なにがなしはっと胸を衝かれ、私は彼をふりあおいだ。
敦賀さんはこちらをみないようにドアを閉めようとしている。

(あ……あ―――――)

私は、今自分が一瞬見たものが信じられなかった。
胸が破れそうに痛んだ。
思考よりも先に体が動いて、あわててシートベルトを外すと、敦賀さんの後を追った。
夜にうかぶ自動販売機…。

「…敦賀さ…――――」

「来ないでくれ」

ギクっと足を止める。敦賀さんは後ろを向いたまま、自動販売機から清涼飲料水を取り出している。
竦んだ私を一瞬気遣うように首をかしげて、でもこちらをみないまま彼は言った。

「…この気持ちの時はまずいんだ…少ししたら落ち着くから」

いったいどうして、この人がこんなふうに…という、場違いな物思いが湧いてくる。
私の何がこの人にこうさせるのかと思う疑問と、そう思うことへの僭越さと面映さと恐れ。
でも…。

私は、衝撃に力を得たまま、心のままに彼に駆け寄って…後から抱きついた。
敦賀さんが慌てたように、体をかたくする。

「敦賀さん…っ ごめんなさい………」

涙が出てきた。
嗚咽にまぎれて吐き出した言葉は聞き取れないくらいうわ言めいていた。

「ごめんなさい…私、バラバラで、 もう、どうしていいかわからなくて……」

敦賀さんが私の手をとって、ゆっくりふりかえる。

(敦賀さん―――――)

ゆっくり手を伸ばして、おそるおそる彼の頬に触れた。
胸が破れそうに痛かった。

敦賀さんの綺麗な目からこぼれてくる涙を指先ですくう。
こんなに大人の男の人が、泣いている姿を見るのは生まれて初めてだった。

(思いは…おなじだと)

この人が私を好いてくれる理由なんか全然わからないけれど。
そっと…そっと、彼のふところにもぐりこむように、私はその胸に体をよせた。

「……最上…さん…?」

「…動かないで下さい……敦賀さん―――――」

今だけは。

彼は、黙って私の体に触れないよう手を伸ばすと、しん、とかたまった。
何か、色々な事がわかりそうな気がした。

私は、この人のことが好きだけれど、怒ってもいて、大嫌いな気持ちもあった。
好きという気持ちに押し潜められた怒りは、悲しみという感情を味方につけて、肉体の拒絶というかたちで噴出した。
この人のことを、なにもわかっていない私。
社会的にも肉体的にも精神的にも大人の男性で、ほんとうにすぐれた俳優さんで、やさしくて、でも厳しい先輩で…
…でも、そういえば私は知っていたはずだった、この人が、筋金入りの 『恋愛オンチ』 であることを。

坊の姿で接した時のことが蘇った。嘉月の演技でスランプに陥った時のこの人を。
恋したことがないといった。どういったものが恋なのかとさえ聞いた。
ごくごく初歩の―――――恋の予兆だけが―――――。

(相手はまだ高校生だ……)

ぴくん、と体がふるえた。
あの時この人は確かにそう言った…。

この人の恋の予兆の相手って……。

(わ…、たし…―――――)

あの時私はこの人になんて言ったんだったか…。
随分、言いたい放題無神経なことを言い放った気がする。
してみると、この事態は自分自身が招いたことでもある…といえないこともないんだろうか?
眩暈がした。

ものすごいアンバランス。そこだけが低すぎる意識と経験値。
もしも敦賀さんを円グラフにしたら…と考えて、うっすらとおかしくなった。
そう思う心の余裕さえ生まれていた。

胸のしこりが少しづつ溶けていくような気がして、顔をあげた。
まだ、少し怖い。彼の一部分の幼さのようなものを感じる事ができても、
彼の存在そのものは私なんかが太刀打ちできるようなものじゃない。
それに私には、男性である事、の感覚はまったくわからない。
でもきっとこの人には、私が女性であることの感覚はわからないだろう。

こわかったんです、敦賀さん……―――――。

少しづつ、話していこう。
私が自分を女であることを認めてきちんと向き合うには、もっと時間がほしかったこととか。

でもたぶん、あの夜の出来事がなければ、私の心が敦賀さんに気付き、
恋心を認識することは難しく、できたとしてももっともっと時間がかかっていただろう…。
そういうジレンマもすこしづつ。

私は、彼の背に手をまわした。
敦賀さんの手がためらいがちに、私を抱き寄せ、ふいにつよく抱きしめた。

もう、大丈夫…。

―――――その時。

何か強い光があたりを一瞬照らした。
ふたりで顔を上げると、なんどか瞬きが繰り返される。
何が起こったかわからないでいると、私をかばうように抱き込んだ敦賀さんの顔が厳しくひきしまった。
誰かの物音と気配が遠ざかっていく。

「…つ、敦賀さ……」

何が起こったの?いまのはいったい…。
敦賀さんを見上げると、彼は厳しい顔のまま、私の体を引き寄せた手に力を込めた。

「撮られた…―――――」

…撮られた…?って、なに―――――。

(あ…)

あああ?!

(嘘―――――)

その瞬間、足元がガラガラと崩れるような衝撃が……―――――。



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