■発端 
キョVer
02


「君の全部を俺にくれないか…」

確かに、そう聞こえた。
その意味を考えるより先に、敦賀さんの手が私の腕を取り、
気付くと抱きすくめられていた。

(えっ?……えっ…  えええ!????)

声にならない驚愕。
…というか、人間って多分、本当に驚いた時、全部「止まって」しまうものなんだと気付いた。
なんて、冷静に分析している場合とかじゃなくて…。
思考停止したまま、敦賀さんを見る。
きっと今私はすごく情けない顔をしている。

目が合った瞬間、思わず鼓動がブレた。

(夜の帝王――――――――――――!!!)

いっそなまめかしいと言ってもいいほどの美しい顔に、真っ直ぐに見つめられている。

「………ほしいんだ…」

低い声、掴まれた腕の、強い力。
敦賀さんが何を言って、何を求めているのか、わからない。
わからないけれど……―――――。

「いやっ」

殆ど反射的に、気付くと身をよじっていた。

強い力で引き寄せられ、抱きすくめられた。
もがくと、もっともっと強く抱きしめられた。
知らない男の人みたいで、こわい。

「やめて下さい、敦賀さん…!」

どうして?どうして?わけがわからないからどうしていいかわからない。
腕の中から逃れようと体をひねると、バランスを崩したところに床に組み伏せられた。
大きなからだ、強い力、敦賀さんの匂い。すごく近い…。
首筋に敦賀さんの吐息を感じた瞬間、そこにくちびるを押し当てられた。

イヤだ、 いや………。

「うそですよね、冗談がひどすぎますっ、こんなのってひどいですっ」

きつく吸われる。その感触に、心臓が暴走をはじめた。
自分の中で、得体の知れないものが、ぞわり…と動いた気がした。
熱い…… 熱くて…――――――。

「冗談なんかじゃない」

耳元で囁かれて、また頭の奥が変な感じにブレた。
少し体を起こした敦賀さんの、上からふってくる強い視線。
普段の敦賀さんとは全く違う誰か。
夜の帝王だけど、いつもみたいな冗談でも、演技でもない。
視線で焼き殺されてしまいそうに熱くて…
――――――――私の中に深くとじこめたものを揺さぶるような、怖い目。

「冗談で、こんなことはできない」

敦賀さんの指が、いつか私の唇をいやらしくなぞった指が、ふと顎あたりにそえられて…
気付くと唇で唇をふさがれていた。

(――――――――――――――――――――!!!!)

頭が真っ白になった。そして、キスされているんだ、と気付いた。
敦賀さんが、私にキスをしている。 いつかみたいな寸止めではなく―――――。
私が、敦賀さんにキスをされている。 いつかみたいな、冗談ではなく―――――。

体が勝手に動いた。いやだ、はなして。こんなことをされたら駄目だ、駄目だよー。

男性というものを、ふいに正面からまともにぶつけられて、私はパニックをおこしていた。
ビーグルの変態に追われた時の怖さと少し似ていた。
よく考えたらあれは昨日のことなんだ。
昨日が変態で、今日が敦賀さん。私の人生、何がどう間違って…――――――。

でも、気付いてる。私はいま、ショータローのこと呼んでない。
昨日よりもあきらかに、たぶんものすごくどうしていいかわからないこの状態で、
あの時感じた絶望とは違う気持ちを抱いていて、私は自分のそれがものすごく怖くなった。

息苦しくてわずかに口をひらくと、それを待っていたかのように敦賀さんの舌が入ってきた。

(うそーーーーーーーー!!!????)

はじめてなのに、したことないのに。

もがいて、ぶんぶん首を振って、なんとか逃げようと足掻いているのに、
どういうわけか気付くとがっちり敦賀さんに抱きしめられていた。
全身に敦賀さんを感じる。何といつのまにか足まで絡んでいるではないか。
ふれ合っているところから、全身が熱く痺れて…
唇から口内にまで与えられる刺激の甘さにめまいがした。
頭の奥がぼうっとする。

慣れたキス、慣れたしぐさ。

なぜだかふいに、すごく悲しくなった。
叫びだしそうになる。

かれにとってこの行為ははじめてじゃない。
こんなに激しく、噛み付かれて、食べられてしまうのじゃないかと思うくらい乱暴なのに、
重なる唇の柔らかさと吐息の甘さと、
敦賀さんの重さと、きつく苦しいくらいに抱きすくめられるこの熱さを…――――――。
知ってるのは私だけじゃない。

自分でびっくりした。涙が出てきた。

(なんで????)

それは、こんなにひどいことをされているのだから、
涙のひとつも出てきてしかるべき、と思うけれども。
この涙はきっとそうじゃない、 だからすごく ―――――― 苦しくて、イヤだ。
ふと、敦賀さんが顔をあげた。
唇をはなすときに、 ちゅ となんだかとても恥ずかしくなる音がした。
上から私を見下ろす敦賀さんの目が、熱にうかされたように潤んでいて、
やっぱりなんだかすごくなまめかしくて、また涙が出た。

「……ひどいことをしていると、自分でも思う」

覗き込んでくる敦賀さんの目。
全てを見透かされそうで怖い、綺麗な目。

お願いします、これ以上入ってこないで―――――――。
それはほんとに私にとって “ひどいこと” なのに。
恋なんかじゃない、違うのに。
そんな敦賀さんで、私の苦手な『夜の帝王』で、こんなふうに。

「きみはなにも悪くないのに…」

彼はすごく傷ついてるみたいだった。
どうしてなんだろう…。
そして私は、『どうしてですか』と聞けないでいる。
それを聞いてしまったら…
全てが取り返しのつかないふうに変わってしまう、そんな気がして。

「悪くないから………―――――――――めちゃめちゃにしてしまいたい」

そんな物騒な言葉を囁かれているのに、
ふと気付くとあの嵐のような恐ろしさがきれいに消えていた。
重なり合っていた熱がどこかさめていく、
ただふれ合っている部分だけがあたたかくて…。

(ああ、いつもの敦賀さんだ―――――――――)

『いつもの敦賀さん』と、こんなとんでもない格好で
抱き合っているのはかなりの異常事態だけれども、
それでもさっきみたいな、わけのわからない情動に
気持ちが振り回されてしまう恐怖よりも良かった。

「――――――――――――――――――――――…」

「………………………………」

敦賀さんが体を起こした。私は、重なっていた体温が失せて、
何だか急に寒くなった気がして、
半ば無意識に胸元をかき合わせていた。
なんだろう…この、喪失感? 
そう思った瞬間に、またさっきの恐怖の尻尾を感じて、思わず身震いする。
抱きしめられているあいだに、私の体の中に何かの種が撒かれて、
それが小さく芽吹いてしまった気がする。
それが根をはり、育って、私を内側から変えてしまうような、不吉な予感。

「………行って   」

敦賀さんの疲れたような声。
そうだった、この人は気分が悪くて…休んでいて…。
それなのに、何がどうして、いま、こんなことになってしまったのかわからない。

わからないことを確かめる余裕もなく、
私はただその不吉な予感から逃げるために、立ち上がった。


 
inserted by FC2 system